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ペルー情報
【動画】ペルーの絶景集:悠久のアンデス山脈と古代文明、世界遺産マチュピチュ
アンディーナトラベル&松井章 写真事務所 チャンネル
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「ペルー」ブログ記事集
クスコ旧市街
インカ帝国の都・クスコ(3,400m)
インカ帝国の首都として繁栄した古都クスコ(3400m)は、先住民のケチュア語で「へそ」を意味します。帝国の首都としてだけではなく、宇宙の中心として、インカ時代の信仰の中心地でもありました。ペルー旅行では、基点となる町です。
16世紀に侵入してきたスペイン人の文化が色濃く残り、中央広場から広がる旧市街には、コロニアル調の街並みが今なお保存されています。白い壁、赤い瓦屋根、美しいアラブ調の中庭(パティオ)など、スペインの古い街そのままです。
そして、それらの建物の基礎や石組みに使われているのは、インカ時代の石組みです。街を歩けば、クスコの町はインカの石組みの上にできたスペインの町であることがすぐにわかることでしょう。
インカ帝国の高度な建築技術には謎が多く、カミソリの刃一枚も通さないと言われる精緻な石組みは有名です。複雑な計算の上に組まれた石組みは容易に崩れず、地震でも崩れることがありません。これらのインカの遺跡はそのまま保存されているので、街を歩けば、あちこちに見ることができます。
弊社の手配では、日本語ガイドが同行します。古代遺跡を始め、文化財の多いクスコでは、日本語ガイドが同行することで、ガイド・ブック以上の知識を得ることができます。
スペインとインカ融合のシンボル:古都クスコ
ピューマの形にデザインされたインカの都・クスコ
クスコ歴史地区の名所
アルマス広場
クスコの中央広場であるアルマス広場は、かつてインカ時代には戦士の広場という名前でした。スペイン侵略後は大きな教会を建て、スペイン人の権力の象徴として作り直されました。
クスコ市街の魅力ある街並みを歩く時にも、このアルマス広場を中心に巡るのがお勧めです
ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会
インカ皇帝の宮殿を解体した上に築かれた教会です。南北アメリカ大陸におけるコロニアル・バロック建築を代表する教会として有名です。
クスコ大聖堂
スペイン人がインカ帝国の侵略後に約100年かけて建設しました。インカ帝国の時代には太陽神を祀る神殿があったと言われます。スペイン人の力の象徴として、あえてインカの神殿のうえ、キリスト教の大聖堂を建てたのです。
内部には多数の宗教画が飾られています。これらは16~18世紀頃ノクスケーニャ様式と呼ばれ、キリスト教に改宗したケチュア族の人々が描きました。特に有名な「最後の晩餐」の絵画では、食べ物などがペルーの物に代えて描かれています。
「インカ建築」の石組みとスペイン時代の街並みが残る旧市街
コリカンチャ神殿のような神聖な目的だけのために作られた場所は、全ての石が形を揃えられ精巧に磨かれていて、カミソリ一本通さないほどです。マチュピチュの場合、神殿跡の石はコリカンチャ同様に美しいが、住居跡や畑の石は、ただ単に積んであるだけです。インカの建物を見るとき、石がどれくらい丁寧に加工されているかを見ると、神殿であったか、住居だったか、その建物のおおよその用途が分かります。
コリカンチャ神殿(サント・ドミンゴ修道院)
インカ建築の中で最も精巧に作られている建築物が、コリカンチャ神殿です。太陽信仰の総本山として崇拝されていたコリカンチャ神殿は、インカ時代の公用語のケチュア語で「コリ=金」、「カンチャ=場所、居所」を表しました。つまり、金が集められていた場所だったのです。石の壁の上部には金がびっしりと張られていたが、スペイン人の侵略により奪われてしまい、神殿も基部を残して破壊されてしまいました。
スペイン人は、コリカンチャ神殿の基部の上に、キリスト教のサント・ドミンゴ修道院を建設しました。
現在では修道院から入場して、コリカンチャ神殿の一部を見学することが可能です。インカ建築の結晶ともいえる石組や貴重な展示物が展示されています。
今は石組みだけが残っていますが、当時の面影を想像させる精巧な建築と、その後のスペイン建築のはっきりとした違いを目にすることができます。
★インカ文明の星座観★
インカ文明では、天の川の黒いシミの部分「暗黒星雲」にアンデスの神話の動物を表現しました。
※ユーラシア大陸とは異なるインカ文明の星座観については下記の記事をご覧ください。
12画の石
インカの第六代皇帝、インカロカの神殿の壁の一部に組み込まれる、角が全部で12個ある有名な石です。石が何を意味するか、インカのカレンダーの象徴、あるいはインカの皇族12家族の象徴など、諸説あるが実際には不明です。
分かることは、この12角の石を作るには高度な技術を持つ石工による芸術品であるということです。
また、このインカの壁の正面にはスペイン人がインカ風に真似て作った壁があり、比較すると技術の違いが格段で面白いです。
夜景
アルマス広場を見下ろす夜景スポットはいくつかあります。橙色のナトリウム灯に照らされる旧市街の美しい街並みの夜景です。
サンブラス地区
スペイン調の街並みで、白い壁に青いバルコニー、橙色の瓦の街並みが広がります。
石畳もまたスペイン時代のもので、街角にはいたるところにインカ建築の堅牢な石組みを見ることができます。
瀟洒なカフェテリアや雑貨店、レストランが軒を連ねる名所です。
サンペドロ市場
アルマス広場近くの巨大なマーケットです。日常生活の品から、穀物や民芸品、そして食堂など、あらゆるものが揃う市場です。
ローカル市場散策ツアー(生鮮食品など)
ペルーの生物多様性は、山脈・海岸地帯・アマゾン等の領土全体で見られる多種多様な食に反映されています。 そのことから、ペルーはアンデス原産であるキヌア、キウィチャ、ココア、コーヒー、そしてエキゾチックなフルーツやスーパーフードの発祥の地でもあります。 クスコの街の最も代表的な市場の散策ツアーでペルーのエッセンスを発見してください。
スペイン調コロニアル様式のホテル
クスコ旧市街のホテルの多くが、スペイン統治時代の貴族の館などを改装したホテルです。コロニアル様式と呼ばれる建築様式で、中庭(パティオ)のあるホテルがほとんどです。石組みの旧館を利用したホテルはとても趣があり、クスコ滞在でゆったり過ごす基点として、このようなホテルに宿泊するのも、クスコ滞在を楽しむ秘訣です。
中庭(パティオ)の起源を遡ると、スペインよりも前の時代、イスラムにたどり着きます。パティオの中心にある噴水は、砂漠のオアシスを象徴すると言われ、その建築文化をイスラム教徒がスペイン・イベリア半島を占拠していた時代に持ち込んだのです。
美食「ペルー料理」:クスコの名レストラン
ペルー・アンデス最大の祭り「インティライミ」
南米3大祭りの一つ「太陽の祭り(インティライミ)」は、冬至の6月24日に開催されます。今も地元の人々・ケチュア族の根底には太陽信仰が生き、このお祭りは欠かせないイベントです。最も夜の時間が長い冬至に、神様への収穫の感謝と来る豊作への願いをかけて、人々はパレードで踊り歩きます。
現在は観光客が数十万人が集まる大イベントとして、インカ時代を模した音楽や衣装での儀式がサクサイワマン遺跡で行われています
※詳しくは下記のブログをご覧ください
クスコ周辺の遺跡群と観光名所
クスコ周辺には、インカ時代の遺跡が数多く残ります。巨石を積み上げて造られたサクサイワマン要塞は最も有名で、ペルー旅行では欠かせないポイントです。また、巨石から削りだしたケンコー、今も水が湧き出す“聖なる泉タンボ・マチャイ”など、約2時間で周辺の遺跡を巡ります。
サクサイワマン遺跡
インカ帝国第9代皇帝パチャクティの時代から約80年で建築されたといわれます。高さ5m重さ300トン以上の巨石を3層に組み合わせた要塞跡です。1536年のスペイン人との戦いでは虚を突かれ敗北、インカ帝国滅亡の決定打となった戦場跡でもあります。遺跡からはクスコの町を一望でき、ピューマの形に作られたクスコの旧市街の面影を見ることができます。
ケンコー遺跡
ケンコー遺跡は、他の遺跡と異なり、宗教の儀式で使用された遺跡です。巨大な1枚岩に刻み込まれた無数の祭壇や階段など、鬼気迫る彫刻に覆われた遺跡です
タンボマチャイ遺跡
インカ時代に沐浴場であったと言われる、“聖なる泉”と呼ばれる遺跡です。当時から今も水は一年中流れており、その水源は今もなお謎です。小規模ながら、見事に石が組まれています。サクサイワマン遺跡から4kmの場所にあります。
チンチェーロ:クスコ近郊の小さな村
クスコから1時間、ウルバンバ谷との中間に位置するチンチェーロは、標高3600mの草原にある小さな村です。日曜日のマーケットや古代遺跡で有名です。スペイン時代の古い石畳が今も残り、周辺には小麦畑が広がり、民族衣装を着た人々も歩く素朴な生活風景を見ることができます。
南米アンデス山脈に生息する4種類のラクダ解説:リャマ・アルパカ・ビクーニャ・グアナコ
インカ極彩色の民族衣装:天然染料の手織物
ペルー・アンデスの保存食「チューニョ」
ウルバンバ谷
インカ帝国の核心部・ウルバンバとは
クスコから車で約1時間半の距離にあるウルバンバ谷(2800m)は、「聖なる谷」を意味します。年間を通して気候が温暖であることから、インカ時代には王族の別荘があり、食糧を生産する重要な穀倉地帯でもありました。谷は、クスコとアマゾンを結ぶ重要な通路でもあり、関所兼宿場町として機能したオリャンタイタンボ遺跡が有名です。
現在では、マチュピチュとクスコの中間に位置し、標高も割りと低いことから、高度順応のために、ペルー旅行の最初の日はここに宿泊することが多いです。
オリャンタイタンボ遺跡の近くの駅が、マチュピチュを往復する鉄道のメインの駅となっています。 ウルバンバ谷周辺には、遺跡やピサック村のマーケット、先住民の村など、多くの観光スポットがあります。
《解説》ウルバンバ谷の観光スポット特集
美食「ペルー料理」:ウルバンバ谷の名レストラン
【ペルーの風景を撮影】アンデス山脈の生活風景を撮影する
オリャンタイタンボ遺跡
インカ帝国時代には、宿場町と要塞を兼ねていた重要な遺跡です。急斜に造られた段々畑(アンデネス)が美しく、その丘の上には巨石を組み合わせた神殿が作られています。山上の遺跡からは、ウルバンバ谷の美しい穀倉地帯を見渡せます。
マチュピチュ遺跡、サクサイワマン遺跡に次ぐ規模の大きな遺跡です。
オリャンタイタンボ村:マチュピチュ鉄道の基点
オリャンタイタンボ城塞遺跡の麓のオリャンタイタンボ村は、周囲をインカ時代の遺跡に覆われた独特の風景の中で、スペイン調の古い石畳の街並みを残した美しい町です。細い路地が迷路のように入り組み、民族衣装を着た人々が町を行き交います。
マチュピチュ遺跡へ向かう鉄道駅の基点として、多くのツーリストが訪れます。
マラス塩田
インカ帝国以前の時代から2000年以上も続くマラス塩田は、ウルバンバ谷の斜面に沿って数キロに渡り、塩の棚田が続きます。棚田の数は数千個に及び、今も採取される塩はペルーで使用されています。
マラス特産:天日干しの塩
かつてアンデス山脈が隆起するまで、ここは海の底でした。その海底の塩が岩塩の地層になったことから、大地の割れ目から塩水が湧き出るようになりました。海水の約7倍の塩分を含む塩の泉の水を、数百個のテラス状の棚田に引き込み。天日干しで塩を採取しています。
このマラスの塩は、ペルーの食卓でも愛されて、ミネラル豊富で料理には最適な塩です。
塩田の売店には格安で販売されているので、ぜひ日本に持って帰りたいお土産です。
モライ遺跡
インカ時代に農業試験場として利用されていた、円形の段々畑の遺跡です。最上部と最下部では、気温差を始め植物の生育環境が異なることから、キヌアやトウモロコシなど様々な農作物がこの段々畑で開発されたと言われています。
聖なる谷の小さな村:ミスミナイ村
ミスミナイ村は、クスコから約1時間、マチュピチュ鉄道のオリャンタイタンボ駅からも約1時間ほどの距離です。マチュピチュからクスコへの帰路に、ミスミナイ村に立ち寄ることも可能です。
ミスミナイ村の近郊には、オリャンタイタンボを始め、ピサック村、モライ遺跡、マラス塩田など、訪問する地域も多いので、「ウルバンバ谷観光」の中にに含めることもお勧めです。
ミスミナイ村の訪問をすることで、地元ケチュア族の生活をじっくりと見学することができます。滞在時間に合わせてご案内するので、短ければ2時間ほどから、あるいは宿泊することも可能です。
※日本語ガイドが、村人のご案内を全て訳します。
●ケチュア族の祈りの儀式
ケチュア族の神聖な儀式を見学することが可能です。見学する旅行者の幸運も一緒に祈ってくれます。
●ケチュア族の暮らし体験
アンデスの人々の暮らしに興味がある方には、ミスミナイ村をお勧めします。1,2時間の滞在から、半日、終日、宿泊など、希望に合わせてアレンジします。作物の収穫を体験したり、ケチュア族の暮らしを実体験できます。
●手織りの民芸品
村の女性は、織物などのお土産を観光客向けに生産しています。村で手作りの民芸品を購入可能です。
●農村風景を楽しむ軽ハイキング
農村風景を望みながら歩く、高台への軽いハイキングも高所順応にお勧めです。約1時間歩くと、周辺の草原を一望する丘に登ることができます。眼下には、農業試験場の遺跡モライを見ることができます。
●1泊2日のホームステイ
村に宿泊して、ケチュア族の暮らしを1日かけて見学します。食事も全て含まれています。
ミスミナイ村プロジェクト:レスポンシブル・ツーリズム
レスポンシブル・ツーリズム(責任あるツーリズム)の取組みとして、2008年からコンドルトラベルがミスミナイ村と始めました。トレッキングのポーターなどの雇用を始め、ツーリズムの産業構造の中で、地元ケチュア族の人々が取り残されることのないようにすることが、「ミスミナイ村・プロジェクト」の目的です。
ミスミナイ村は、積極的にツーリストを受け入れることで、現金収入を得るきっかけとなり、村のインフラ整備などにもつながっています。また、織物などツーリスト向けのお土産の作成と販売も積極的に行っています。
インカトレイル・トレッキングのポーター
アンディーナトラベルの「インカトレイル・トレッキング」では、ミスミナイの村人が荷物を運ぶポーター役を担っています。常に同じ村の人々がポーターを担うことから、トレッキングのスタッフ・チームはより団結力があります。
ピサック:マーケットと古代遺跡の町
ピサックはスペイン時代の古い石畳と路地の小さな町です。数百年前のスペイン統治時代にタイムスリップするかのような街並みで、背後の山を見上げれば、巨大な古代遺跡が山肌に張り付くように聳えています。
この町の中央広場では、日曜日のマーケットが有名です。お土産だけではなく、日用雑貨も販売されるので、ウルバンバ中から人が集まります。
山の上のピサック遺跡は、オリャンタイタンボ遺跡に匹敵する規模で見ごたえありますが、長い階段を上る必要があるので、時間も必要となります。
南の谷:ピキリャクタ遺跡、ティポン遺跡、ラクチ遺跡
古代文明のゆりかご:南の谷
インカの都クスコの南方に「南の谷」と呼ばれる地域があります。観光ではあまり知られていませんが、古代遺跡とそこに住む先住民の人々の古い生活が今なお残る地域です。インカ以前からペルーで重要な役割を果たし、ピキリャクタ遺跡やティポン遺跡、ラクチ遺跡が有名です。
<アクセス>
南の谷は、チチカカ湖のプーノに向かう道の途上にあり、クスコからは車で約1時間の場所にあります。1日かけて遺跡を巡りながらチチカカ湖へ行くこともできます。
神殿都市:ラクチ遺跡
ラクチ遺跡は、ピキリャクタ遺跡よりさらにチチカカ湖方面にある遺跡です。この遺跡もまたインカ以前のプレ・インカ時代のもので、創造新ビラコチャを祀る神殿であったと考えられています。
いま残っているのは巨大な壁の部分ですが、この壁は神殿の内側の壁であったと言われます。神殿の周囲には、当時の集落跡の遺跡もあることから、神殿を中心とした都市であったと考えられています。
先住民ケチュア族の伝統的な生活風景
南の谷の周辺は、古代文明が隆盛した地域であるためか、今もなお人々は民族衣装を着て、古い生活を守りながら、現代文明と共存しているようです。クスコ周辺ではもう見ることができない伝統的な生活風景を見るのなら、南の谷は最適な場所です。
ワリ文化とインカ文明の混合:古代都市ピキリャクタ遺跡
ピキリャクタの遺跡の中で最も重要な遺物がルミコルカです。コルカは先住民の言語・ケチュア語で倉庫を意味します。ルミコルカはピラミッド状の石の倉庫となりますが、実際には関所のような役割を果たしていたと考えられています。
ピキリャクタ遺跡は、インカ文明より以前(プレ・インカ時代)のワリ文化の人々により建設されたと考えられています。西暦600~900年頃にかけて、チチカカ湖から太平洋岸まで広く版図を広げた帝国です。縄の結び目で文字を形成する“キープ”や精緻な道路網の建設など、後のインカ文明に大きく文化が継承されることになります。
この時代に栄えた都市の一つがピキリャクタであったと考えられています。古代都市の中で、ルミコルカの石の倉庫は都市の重要な食料を貯えていました。この遺跡はワリ文化の後のインカ文明でも都市として繁栄を続けました。そのため、遺跡の各所には、巨石を組み合わせたインカ文明の個所や、小さな石によるワリ文化の部分が混合しているのです。
ティポン遺跡
プレインカ時代より農業試験場として建設されていたティポン遺跡は、大規模な段々畑(アンデネス)と灌漑用の水路があることで、インカの歴史における重要な遺跡です。
レインボー・マウンテン・トレッキング
虹色に輝く山
レインボーマウンテンとしても知られる「ビニクンカ」は、ペルー・クスコ近郊のアウサンガテ山群の山麓です。アウサンガテ山は、アンデスの霊峰としてクスコのシンボル的な山です。
かつてはレインボーマウンテンまで数日間のトレッキングが必要でしたが、現在では道路開発のおかげで1日の日帰りで往復できるようになりました。
標高4000mを越える高所なので体力は必要ですが、アンデスの素朴な景色を楽しめます。アウサンガテはクスコの地域で最も高い(6385メートル)山です。
2018年までは健脚向けのトレッキングでしたが、2019年より新しいルートが整備されたことで、徒歩約4時間で往復できるようになりました。
モデルプラン④:4泊5日山小屋泊トレッキング「アウサンガテ山群+レインボーマウンテン」
1日目:専用車でクスコ発。アウサンガテ山群の登山口(4200m)へ。ケチュア族の生活道を歩き、氷雪のアウサンガテ山群を望みながら歩きます。
2日目:絶景の峠(5100m)を越えて、アウサンガテ山群の奥地へ歩きます。
3日目:アップダウンを繰り返し、アウサンガテ山群を歩きます。
4日目;アウサンガテ山群の端にあるレインボーマウンテンへ。
5日目:登山口まで歩き、専用車でクスコへ戻ります。