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大草原に埋もれた謎のティワナク遺跡
ボリビアの首都ラパスから約70kmほど離れた「ティワナク遺跡」は、チチカカ湖を遠くに望む大草原アルティプラーノに位置します。青い空はまるで天蓋の如く地上に覆い被さるようで、息苦しさを感じるほどに大空が存在を主張しています。このアンデス高原“アルティプラーノ”の典型的な風景の中に、ティワナク遺跡は静寂に満ちた草原に埋もれています。
遺跡の大きさは広大で4km四方に及ぶと言われますが、いま発掘されて姿を現しているのは僅か3割ほどと言われています。数十キロも移動すればやや気候の穏やかな地形の土地があるにも関わらず、気候が厳しく寒冷で乾燥したこの大草原になぜ巨大な遺跡が築かれたのか、ティワナク遺跡は謎に満ちた遺跡なのです。その歴史的な重要性から、ユネスコの世界文化遺産に指定されています。
アンデス高原を支配したティワナク文明
ティワナク遺跡は、紀元前200年から紀元1100年頃まで栄えたティワナク文明の中心となった宗教都市です。8世紀から12世紀にかけて最盛期を迎えたティワナク文明は、チチカカ湖を中心に南はアルゼンチンやチリ国境部まで広がっていたと言われます。同時代に、ペルーの太平洋岸では、ワリ文化と呼ばれる類似した文明が権勢をふるい、ワリとティワナクがペルー・ボリビアのインカ帝国の版図と似た地域を支配していました。この古代文明の後で、インカ文明が急激に興隆することになります。
インカ文明の興隆に大きな影響を及ぼした謎の古代文明
インカ帝国より前の時代を、「先インカ時代」または「プレ・インカ時代」と呼びます。この名の通り、インカ以前の文化が、その後のインカ帝国に大きな影響を与えたのですが、中でもティワナク文明はインカ文明の前身とも言えるほどに大きな存在です。
チチカカ湖岸がインカ発祥の地と呼ばれることからも、ティワナク文明への敬意を感じます。
インカ文明との類似点としては、まず崇拝していた神が同じであることです。インカ文明で最重要の神であった「ビラコチャ」は、ティワナク遺跡でも主神であったと言われます。
また高度な石材加工技術を持っていたことも、インカ文明との大きな共通点です。巨石を巧みに研磨・加工して積み上げた石への執着を見ると、インカ文明の原点がティワナク文明であることもよく理解できるでしょう。
何もない大草原にポツンと顔を出すティワナク遺跡が、インカ文明の原点であるとは想像し難いですが、一度この大草原に実際に立って遺跡を見ていると、インカ発祥の地はチチカカ湖岸のこの地であることが少し腑に落ちて来るでしょう。
ティワナク遺跡の見どころ
●半地下神殿
ティワナク遺跡の核心部ともいえる半地下神殿は、その古代文明の謎の遺跡らしい独特な雰囲気です。半地下を囲む壁には、ぐるりと180個もの顔の彫像が嵌め込まれています。この顔は主神ビラコチャであるとも言われます。この広場の中心には、ヘイエルダール著「コンティキ号漂流記」で有名な「コンティキ」という名の神様の彫像が建っています。
●カラササヤ
巨石に囲まれた「カラササヤ」は、かつてティワナク遺跡で最も重要な場所であったと考えられています。巨石を見事に組み合わせた広場に、立像モノリートが多数発見されました。その多くは盗掘で持ち去られ、いま草原に立つのは、「ポンセ」と「フライレ」の2体だけです。
●太陽の門
見事なレリーフで有名な「太陽の門」は、ティワナクの巨石文明を象徴する巨石の建造物です。門の上部にはビラコチャ神を中心に、48の鳥人が刻み込まれています
●プマプンク
ティワナク遺跡から500mほど離れた草原に、プマプンクの宮殿跡があります。宮殿の基礎を成す10m近い巨石が転がります。
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