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中世の路地を抜けてアルケサル城塞へ
迷路のような石畳の路地を抜けて、アルケサル村の城塞へ向かいます。
村のどこからでも見ることができる岩山の上に、城はへばりつくように建てられています。
アルケサル城塞は、南北に延びる「ベロ渓谷」において、まるで天然の要害のような岩山にあります。
9世紀にイスラム教はキリスト教徒を北に追い払いイベリア半島を占領したときに、ここを支配地の最北の要衝の一つとして城を築いたのです。
このベロ渓谷は石灰質の山地のために、いくつもの鍾乳洞があり、先史時代から人が住んでいたそうです。町外れにも洞窟壁画(塗料を吹きかけて描く原始的な壁画など)が見つかっていて、世界遺産にも登録されています。
有史の時代に入ると、スペインの先住民が暮らし、その後はローマ帝国がここに現在も残る街道を整備して、イスラム教徒が防衛拠点として城を築きました。12世紀以降は、城塞はキリスト教の教会となります。
アルケサル城塞
アルケサルの城塞はイスラム教徒が建てたのが始まりですが、現存する城塞の部分は11世紀にキリスト教徒が奪還してから作り直したものです。
その後、キリスト教はさらに南へイベリア半島の奪還が進むと、この城塞に戦略的な意義が薄れます。すると、1099年にアラゴン王は城塞を修道会に寄贈して、サンタマリア教会が建てられました。
教会の入口の奥には、もう一つ細い入口が見えます。建造物のこの部分はおそらくキリスト教が城塞を奪還した時代に遡ります。細い入口は敵の侵入から城を守りやすくするための構造です。
入口の上には、当時のレリーフが残っています。聖アローディアと聖ヌニローナという姉妹の殉教者のレリーフです。この2人はイスラム教徒の支配下で改宗を拒否して首をはねられた子供たちと言われています。
城塞の階段を登ると、ベロ渓谷とアルケサル村を一望する絶景です。
のこぎりの歯の形をした城の胸壁は、鋸壁(きょへき)と呼ばれています。
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サンタマリア教会
城塞を改修して建てられたのがサンタマリア教会です。
1時間に一回ほどの割合で開場されて、常駐している係員が案内して回る仕組みです。
この教会は1000年の歴史が詰まった文化遺産です。
この長い年月で、教会はその時代の様式を取り入れながら幾度も改修されてきました。
12世紀に最初に建てられた教会は、ロマネスク様式と呼ばれる古い教会の建築様式です。直訳すれば「ローマ式」と訳せるようにローマ帝国の伝統建築を復刻したもので、10世紀頃に主に修道院や教会の建築様式として誕生しました。
ロマネスク様式の教会は厳格な修道士たちにより建てられたことから、質実剛健な外見で、内部も絵画や彫刻のない質素な造りです。半円形状のアーチや柱頭の装飾が豪華な点はローマ風といえるでしょう。
教会の内部に入ると、ロマネスク様式の建築は中庭と回廊だけに残ります。柱頭には「旧約聖書」のアダムとイブ、そしてカインなどが刻まれています。
その他は16世紀頃のゴシック様式の建築に取って代わられています。
その大きな特徴が、壁を埋め尽くすほどに描かれたフレスコ画です。「新約聖書」の場面を描いた宗教画が見事です。
さらに奥に進み、礼拝堂に入ると、17世紀の建築物が登場します。
ルネサンスやバロック様式が混在したもので、金箔や多色刷りの木造細工で豪華に飾られています。
この時代は中南米(新大陸)から膨大な富が流れ込み、ヨーロッパが飛躍した時代です。
礼拝堂の天井を見上げると、自然光を取り込むために開けられた穴「オクルス」を中心とした彫刻が美しいです。「オクルス」はラテン語で“目”を意味し、ローマ時代から建造物に使われていました。