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バルセロナで最も格式が高いサンタ・エウラリア大聖堂
バルセロナで最も格式の高い教会といえば、旧市街であるゴシック地区のサンタ・エウラリア大聖堂です。
日本では一言で教会と呼びますが、教会にはいくつもの呼び名があり、その格式により異なります。大聖堂(カテドラル)は「司教座聖堂」という最も格式の高い教会で、バルセロナではサンタ・エウラリア大聖堂のみです。
カテドラルを展望する宿から夕日や夜景を撮影
2022年6月初旬、ヨーロッパではすでにコロナ禍が終わりつつある雰囲気のなか、バルセロナに滞在しました。
カトリック教徒にとってはサグラダ・ファミリア教会よりも格式の高いカテドラルの写真を撮るために、できればいろいろな時間で移り変わる表情を見てみたいと思い、カテドラルの間近にある宿に泊まりました。
初夏を迎えるバルセロナでは多くの宿が満室となっていましたが、なんとか大聖堂を展望する部屋を確保できました。
大聖堂が茜色に染まる夕日
6月、日没は夜9時半頃です。沈む夕日に照らされて、大聖堂も空も茜色に染まりました。
大聖堂の夜景
夜の12時頃、ようやく空が暗闇に包まれると、旧市街を照らすナトリウム灯の温かい橙色のライトに大聖堂が浮かび上がりました。空に低く立ち込める雲も町の灯りに薄く照らされていました。
大聖堂の朝日
短い夜が終わり、大聖堂は朝日に照らされました。まだ人の喧噪はなく、鳥のさえずりが辺りにこだまする優しい時間です。
サンタ・エウラリア大聖堂の歴史
バルセロナの町の歴史は、紀元前のローマ帝国の時代にまで遡ります。当時この町は‟バルキーノ”と呼ばれていました。500年に及ぶローマの統治時代が終わり、初期キリスト教が勃興すると、4世紀頃ここにローマ様式を引き継いだバシリカと呼ばれる教会を築きます。
その後、9世紀にイスラム教徒による侵略で、この教会は破壊されてしまいます。イベリア半島を地政学的に見れば、バルセロナはキリスト教徒にとっては最後の重要な拠点であるために、11世紀頃にキリスト教徒はまずこの地を奪還してイベリア半島すべてを奪還する運動(レコンキスタ:国土復帰運動)を始めます。このときに今日の大聖堂の原型となる教会を建てました。
「木の文化」の日本とは異なり、「石の文化」であるヨーロッパでは、時間への概念が少し異なるようです。信仰の基点である教会や大聖堂を建てるときに、ヨーロッパの人々は建立に何世代も何百年も時間をかけるからです。
現在のゴシック様式(中世ヨーロッパを代表する建築様式)の大聖堂の建築は1298年に始まり、150年かけて完成しました。その後も気の長い改修工事を幾度も行いながら、今の姿へと至っています。
カテドラルの特徴的な建築物
見事な大聖堂のファサード(正面部)
カテドラルのファサード(正面部)には、76体の堕天使を始め、12使徒やキリスト像など、見事な彫刻が並んでいます。
大聖堂の後陣を支える控え壁
中世のゴシック様式の特徴は、高さを強調するように尖塔を持つ教会が多いです。この巨大な建造物を後ろで支えているのが、この「控え壁」です。
大聖堂の裏に並ぶガーゴイル
ガーゴイルとは、雨どいに被せた悪魔の像のことを言い、‟魔除け“として無数に飾られて、教会を守っています。
大聖堂の中庭・回廊
大聖堂の横にある中庭と回廊は「クラウストロ」と呼ばれます。アラブの様式をうかがわせる中庭(パティオ)とアーチに覆われて、いくつもの礼拝堂があります。
美しいステンドグラス
六芒星の「ダビデの星」が見える。教会での装飾的な六芒星は、キリスト教では“生命”を意味するそうです。
大聖堂の尖塔
教会のファサード(正面部)にそびえる大尖塔も見事ですが、向かって左側に見える「市の塔」の鐘楼は特に美しいです。
1時間ごと、15分ごとに鳴る鐘は、市によって管理されているので「市の塔」と呼ばれます。
サンタ・エウラリア大聖堂のアクセス
ゴシック街の中心部であるサンタ・エウラリア大聖堂は、文字通りにバルセロナの歴史的な中心地です。地下鉄で行く場合には、最寄駅はL4線Jaume1駅やL3線のLiceu駅です。