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中世のサンティアゴ巡礼
キリスト教3大聖地の一つである、スペイン・ガリシア地方のサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す「サンティアゴ巡礼路」は、スペインのイベリア半島各地からこの聖地を目指す無数の道程です。
巡礼路で最も有名な道が「フランス人の道」です。かつてヨーロッパ中のキリスト教徒は、フランスのパリのサンジャック広場に集結して、約1500キロの距離を歩き、サンティアゴ・デ・コンポステーラ目指しました。
「サンジャック」とはフランス語で「聖ヤコブ」を意味し、スペイン語では「サンティアゴ」となります。このサンジャック広場からサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す道が「サンジャック通り」です。中世のパリではサンジャック通りはメインストリートでした
サンティアゴ巡礼が最も栄えたのは、今から約700~900年前の中世の時代です。この時代、年間約100万人の人が歩いていたと言われます。
これだけの人が歩くとそこには一つの経済圏が生まれていたようで、敬虔な巡礼者には一般人だけではなく僧侶や貴族も含まれ、その巡礼者を守る騎士団もいました。
他には巡礼することで免罪符を得た犯罪人、泥棒や乞食、旅芸人や商人、スパイなど、実に多種多様な人々がそれぞれの思惑で、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指していたのです。
巡礼者の服装
日本でいえば四国のお遍路のように巡礼者には決まった服装や印があります。
かつて中世の時代には、ツバの広い帽子(日除け・雨除け)を被り、裾の長い外套を羽織り、腰には水筒代わりのヒョウタンを下げて、肩には毛布などを入れる頭陀袋を担ぎ、長い杖を持っていました。そして巡礼者の印として、これらのどこかに、「帆立貝」の貝殻を付けていました。
このホタテ貝はサンティアゴ・デ・コンポステーラのあるガリシア地方で採れる貝であり、聖ヤコブ(サンティアゴ)の象徴であったのです。
現在でも、帆立貝はサンティアゴ巡礼路のシンボルであり、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ続く道のあちこちにこの印を見ることができるでしょう。
イスラム教徒との攻防から生まれた聖地巡礼
サンティアゴ巡礼路の起源は9世紀に遡ると言われます。この頃、スペイン(イベリア半島)のほとんどは、北アフリカから侵入したイスラム教徒に占領されていました。イベリア半島を再びキリスト教徒の手に取り戻す運動(国土復帰運動=レコンキスタ)の一環として、サンティアゴ巡礼は始まったのです。
それはイスラム教徒が持つメッカ巡礼を模倣する形で、信仰とアイデンティティを高揚させる装置として発案されたと考えることもできます。
15世紀終盤、スペイン連合軍がイベリア半島を奪還した頃より、サンティアゴ巡礼路もその大きな目的を終えたためか少しずつ巡礼者の数は減っていきました。
時代はスペインやポルトガルの新大陸発見から大航海時代とルネッサンスが始まり、ヨーロッパの人々の意識は外へ外へと広がっていったのでしょう。
再び脚光を浴びる現代のサンティアゴ巡礼
21世紀に入り、再びサンティアゴ巡礼を歩く巡礼者の数は増えていきます。現在では年間35万人が歩くともいわれ、中世以来の巡礼ブームと言えるでしょう。
現在の「フランス人の道」は、フランス・スペインの国境サン・ジャン・ピエ・ド・ポー(フランス側)の町からスタートする、780キロの道程が一般的です。
巡礼の目的は様々で、純粋なキリスト教徒として歩く人だけではなく、日常のしがらみからの解放や気づきを得るために出発する人もいます。人々が歩く動機は様々とはいえ、四国のお遍路に旅立つ人と同じような心境が原点なのかもしれません。宗教の枠を超えた旅であり、歩くことを通して各々が何らかの光明を見出すために目指すのでしょう。
歩いて目指す巡礼の旅は“哲学”の旅という側面があり、世界の全ての人に普遍的な価値があるのです
現在のサンティアゴ巡礼は多国籍であり、多くの日本人もまた歩いています。
それは巡礼路で見る街並みや人々との出会いそのものが魅力であるからです。一定の時間を取り、車ではなく歩くことで、中世の町や草原を歩く、道中で見知らぬ人々と話す。観光地を巡る旅行とは異なる、ツーリズムの一つとして、多くの人が求める旅の形であるのでしょう。
アンディーナトラベルのサンティアゴ巡礼
最後の100キロをゆったり歩く
サンティアゴ巡礼路では、100キロ以上歩くことで、サンティアゴ・デ・コンポステーラで巡礼証明書を得ることができます。最後の100キロを約6日間ほどかけて歩き、サンティアゴ巡礼路のハイライトの旅です。
道中は専属のガイドが歩き、ホテルも予め手配しています。専用車が伴走しますので、ホテルとの往復送迎が含まれています。
●添乗員同行ツアー、あるいは現地ガイドによる個人旅行で催行します
5回に分けて780キロを歩く
フランス・スペイン国境部・ピレネー山脈から780キロを歩きます。全て歩く場合には、一ヶ月ほどかかりますので、この行程を5回(3~4年)に分けて歩くツアーです。宿はその日の進行状況に合わせて現場で“アルベルゲ(簡易宿泊所)”に宿泊します。食事もまたその場でガイドと参加者が相談の上、レストランなどを決めます。
★2021年にシリーズ1回目を企画予定です。★
添乗員同行ツアーでの企画です。詳細を希望の方はお問い合わせください