目次
地中海の重要拠点:マヨルカ島
マヨルカ島は、地中海に浮かぶ美しい島の名前です。古代以来、様々な国が治めたこの島は、今はスペイン領となっています。長い歴史の中ではスペイン領の時代は、あくまでその一つであり、かつてアラビア王朝やイタリアのシチリア王国やナポリ王国、もっと古くはローマ人やフェニキア人が支配していました。
バルセロナやセビーリャのスペイン本土から約200kmの距離にあることから、コロンブスによる新大陸発見前の時代には、スペインにとってマヨルカ島は地政学的に重要な役割を担っていました。
マヨルカ島の発音から見るスペイン語
「マヨルカ島」は、スペイン語では他にマジョルカ島、マリョルカ島という呼び方もされ、イギリス人はマジョール島、フランス人はマジョルク島と呼びます。
どの呼び方も正しいのですが、「マヨルカ」という発音は、マヨルカ島の人々の発音なので、日本ではマヨルカと呼ばれることが多いです。
これはカタルーニャ語の発音です。13世紀以降、バルセロナを中心とするアラゴン・カタルーニャ連合王国による支配が、現在のマヨルカ島民のルーツであるからです。
首都・マドリッド周辺の人々のカスティージャ語では「マジョルカ」と呼び、標準的なスペイン語では「マリョルカ」と呼びます。
マジョルカという呼び方は元々優勢でしたが、近年はカタルーニャ語の復古とともに、マヨルカという呼び方が優勢なにかもしれません
パルマ旧市街の城壁から見る歴史の攻防
マヨルカ島を中心に、メノルカ島、イビサ島など、このバレアレス諸島は、今でこそ世界的なリゾート地です。
しかし、かつては戦乱の的であり、マヨルカ島の古都パルマは、古代から様々な王国が都としました。地中海の戦略的な重要地点として、常に攻防の地だったのです。
たとえば、パルマの象徴であるパルマ大聖堂は、城塞のように堅牢に建てられています。通常のヨーロッパでは、大聖堂は町の中心にありますが、パルマ大聖堂は町を囲む城壁の一部であり、まさしく教会としてだけではなく城塞としても機能し、地中海に睨みを利かせていました。その先約300kmにある北アフリカのアラビア王朝は、長くヨーロッパ文明の宿敵だったからです。
パルマが城塞であった痕跡はあちこちに残っています。その規模の大きさを知るには、Googleマップで衛星画像でパルマを俯瞰すれば一目瞭然です。旧市街のメインストリートは星型の形で町を取り囲んでいます。町を歩いていれば、星型の道路は渋滞の元であることに気づき、その非効率さに疑問を抱きますが、衛星画像を見ていれば、その星型は城壁の跡であることに気付くでしょう。
スペインの旧市街を彩る旧ユダヤ人街
ヨーロッパ各地で古くから根付くユダヤ人コミュニティは、スペインでも長く根付いていました。スペインにいくつもある古都で、白壁に細い路地の地区があれば、だいたい旧ユダヤ人街であるからです。
パルマにおいても、大聖堂付近には迷路のような旧ユダヤ人街が広がり、中世のヨーロッパを感じさせるスペイン的な風景となっています。
いずれにしても、歴史の十字路として様々な文明が興隆したこの地では、その他のスペインの都市と同様に、アラビア人、ユダヤ人、そしてキリスト教徒は共存共栄を長くしていたことが分かります。
パルマ旧市街には、アラビア王朝の宮殿、ユダヤ教徒の教会や町がそのまま残っていることは、かつて数百年前までの風景では、現在に繋がる宗教対立とは異なる世界観であったことを感じさせるのです。