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風景写真家・松井章のブログ

サンティアゴ巡礼路の起源とバスク地方「北の道」

サンティアゴ巡礼路とは

スペイン北西部の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す「サンティアゴ巡礼路」は、多くのキリスト教徒が今も歩くルートです。
メインルートの「フランスの道」は、フランス国境のピレネー山脈から始まり、イベリア半島の内陸を横断する形でナバラ州やカスティーリャ・レオン州を通過して、サンティアゴ・デ・コンポステーラのあるガリシア州へ繋ぐ約800kmの道です。通常は徒歩で約1ヵ月半ほどかかります。
この道と聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラは、世界文化遺産にも指定されています。

サンティアゴ巡礼路の起源

イスラム世界との文明の衝突

サンティアゴ・デ・コンポステーラは日本では聞き慣れない名前ですが、『キリスト教三大聖地』の一つで、エルサレム、バチカンに次ぐ聖地です。この聖地巡礼の歴史は西暦951年に始まり、約1000年に及びます。

イベリア半島の西の端になぜ聖地巡礼が生まれたのか。そこにはイベリア半島を巡る文明の衝突が鍵となります。

7世紀前後から力を増したイスラム世界を基礎とする“アラビア文明”は、当時は中東から北アフリカにまで進出していました。文化は栄華を極め、学問の中心もまたアラビアにありました。
711年にはヨーロッパの玄関であるイベリア半島(現スペイン)の大半を占領します。この時代、アラビア文明からすると、ヨーロッパの文明はまだ華開かず、黒い森に住む辺境の世界であったでしょう。

逆にヨーロッパから見ると、イスラム世界によるイベリア半島の占領は、ヨーロッパの生存に関わる大変な危機でした。中世ヨーロッパとは困難と争いが続く厳しい時代であったのです。

国土復帰運動(レコンキスタ)と聖地の誕生


こうした危機感のなか始まるのが、ヨーロッパ文明によるイベリア半島の奪還運動(レコンキスタ)でした。
イベリア半島で生じた激しい文明の衝突は約800年続き、最後はヨーロッパ文明の勝利に終わり、今のスペインの原型が生まれました。
そして、文明の主役はアラビアからヨーロッパに移り、ルネッサンスへと繋がります。

この奪還運動と深く連動しているのが、「サンティアゴ巡礼路」なのです。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの「サンティアゴ」は、日本では聖ヤコブ、フランスではサン・ジャックとして知られています。
イエスの十二使途でエルサレムでの殉教後は、イベリア半島の西端・ガリシア州のこの地で遺体が埋葬されたと言われます。こうした伝説とともに、10世紀からサンティアゴ巡礼は盛り上がり、多くのキリスト教徒が歩き、12世紀には年間50万人を超える規模であったそうです。
キリスト教徒が聖地に向かうベクトルを作り出すことは、イベリア半島の国土復帰運動(レコンキスタ)の強力な後押しとなったのです。

聖ヤコブは守護聖人として「戦の神」のような存在で、イスラム教徒との戦いでは、「サンティアゴ!」という掛け声とともに突撃したそうです。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの名前の由来


サンティアゴ・デ・コンポステーラのサンティアゴは、前述したように聖ヤコブを意味します。では、コンポステーラは何を意味するでしょうか。

諸説あるようですが、2つの説が有力です。コンポステーラのスペル「Compostela」はラテン語の「Campus Stellae」、スペイン語の「Campo Estrella」に由来すると言われます。Campus(Campo)は「野原」、Stellae(Estrella)は「星」を意味し、合わせると「星の野原」となります。
812年、ある行者がこの地の上空に瞬く星に告知され掘り起こすと聖ヤコブの全く腐食の無い遺体が発見されたという伝説です。
この名前から、パウロ・コエーリョの小説「星の巡礼」が生まれました。

より現実的な説としては、コンポステーラのスペルをラテン語にすると「Compost Terra」、“埋葬地”を意味します。かつてローマ人が築いた墓地の跡が数百年の間「Compost Terra」という名で残り、それを聖ヤコブの埋葬地として聖地化したのではという説です。

いずれにせよ、今でも多くの人が歩く「サンティアゴ巡礼路」は時空を越えて自分と向き合う道程でもあり、日本でいえば四国のお遍路に似た存在なのです。

バスク地方を通過する「北の道」


「北の道」はメインルートの「フランスの道」と異なり、フランスから北の海岸線を歩くルートです。前半がバスク地方を横断するルートです。

イベリア半島の国土復帰運動では、バスクの王国もスペインの諸王国と連合して、イスラム王朝と戦います。長い戦いの中で、バスクの人々の信仰心の高揚も必要とされて、「北の道」ができたということでしょう。
メインルート「フランスの道」と比べると静かな道で、巡礼者の数も少なく、バスク人のために作られた道と考えても良いのかもしれません。

今でも細やかに残る「北の道」は大切に保存されていて、春から秋にかけては巡礼者が歩いています。

【動画】サンティアゴ巡礼路ハイキング:バスク地方

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