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風景写真家・松井章のブログ

インカ後の南米:歴史家インカ・ガルシラーソの時代

インカ滅亡後の南米大陸で

1492年の「新大陸発見(あるいは到達)」という年を境に、中南米はスペインに侵略されて、人々の生活は大きく変わりました。世界史全体のパラダイムが変わるほどの出来事です。

南米大陸では、それまでのインカ文明は紙や文字を持たなかったために歴史の記録というものが無く、全て口承で成り立っていました。そのため、インカ帝国の歴史は、スペインの侵略後に書かれた資料だけが手がかりとなります。

16世紀、この消えようとするインカ帝国の記憶を体系的にまとめたのが「インカ皇統記」でした。
著者インカ・ガルシラーソは、ルネサンス時代の作家として、スペインでも評価が高く、後年はペルーの歴史の記録に取り組んだことから、“ラテンアメリカ文学の一人者”と言われる作家です。

“ラテンアメリカ文学の第一人者”インカ・ガルシラーソとは


インカ・ガルシラーソは複雑な背景を持つ、ペルーのクスコで生まれたメスティーソ(混血)です。

父はスペインから侵略者(コンキスタドール)として来た貴族です。貴族とはいえ、この侵略の初期の時代にスペインから来たことから、支配よりも侵略を目的とした戦士であったことが伺えます。他方、由緒ある家系からは有名な詩人も輩出したこともありました。
そして母は、インカ帝国の王族の娘です。インカ滅亡後、人々がスペイン人を支配者として認めさせる一環として、スペイン人はインカ人と結婚したのです。

スペインとインカの混血(メスティーソ)として生まれたインカ・ガルシラーソは、内包する矛盾や葛藤の中で生きることになります。
幼少期は、ペルー副王領としてスペインに編入されたクスコで、貴族として過ごします。父と同じ侵略者(コンキスタドール)であるフランシスコ・ピサロの息子たちと教育を受けながらも、インカの旧王族との交流を通して、インカの文化にも触れて育ちました。

▲クスコ(ペルー)
父方から受け継いだ「戦士」と「作家」という才能は彼の人生を突き動かすことになります。「血は争えない」という言葉がある通り、人それぞれには宿命があるのでしょう。

若い頃には、スペインに渡り、軍の指揮官としてイスラム教徒との戦いに明け暮れました。しかし武官として身を立てる道は、混血の彼には不利な点が多かったようです。

その彼に訪れた転機が50歳ころです。当時スペイン領であったイタリアへ出征中に、「古代ギリシア」のプラトンの哲学に出会います。
歴史や宗教、文学の勉強や翻訳を重ねるなかで、文才に目覚めました。この時代に、自身の名前である「ガルシラーソ」の前に「インカ」を付して、「インカ・ガルシラーソ」と自称したようです。

後半生で、自身の出自である“インカ”として自覚するようになり、消えゆく祖先の記憶(口承)を集めながら本を出版していました。その中の代表作が『インカ皇統記 – Historia general del Perú』です。インカ帝国の創生から滅亡までの歴史を辿り、そこに暮らした人々の文化や生活の解説も織り交ぜて、作り上げた年代記です。

▲クスコ(ペルー)
それまでのインカに関する本では、ヒロイックに活躍するスペイン人の物語が多かったのですが、インカ・ガルシラーソはそれらとは一線を画しました。クスコを「もう一つのローマ」と呼びインカを讃え、現状の圧政への批判にも踏み込みました。他方、キリスト教の伝道には自身が敬虔なカトリックであることから大きな意味を感じてもいました。

「インカ」と「ヨーロッパ」という二つの社会の狭間でもだえながら生きたのが、インカ・ガルシラーソです。
彼の死後、『インカ皇統記 – Historia general del Perú』はスペイン王室により禁書とされた時代もありましたが、
後に文学として最高の評価を得て、インカ・ガルシラーソはペルーだけではなく、ラテンアメリカ文学においても重要な人物となりました。

「中世ヨーロッパ」という時代背景


▲スペイン・アラゴン地方
ヨーロッパが大航海時代に世界に進出した時代、中南米だけではなく、アフリカでも同様の支配構造が生まれました。苛烈なまでの支配者による圧政は、当時のヨーロッパ世界の現実をそのまま世界に投影させたとみることができます

ヨーロッパの中世を紐解けば、混乱の時代が1000年近くも続いていました。

紀元前5世紀くらいから紀元5世紀くらいまで、イタリアを中心にローマ帝国(ラテン民族)が栄えました。イタリア以北のヨーロッパにも、ローマ人は進出して、ヨーロッパに広く進出します。もともとの先住民であるケルト人とも共生するように暮らしました。大きな混乱はない時代で、“ローマの栄光”はヨーロッパの原点となり、欧州各地にローマの遺跡が今も残ります。「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」という言葉が有名です。

ローマ末期、北から侵入して来たゲルマン人によりローマ帝国は崩壊、ヨーロッパ全域が混乱します。ケルト人はイギリスの西へと追いやられ消滅してしまいます。こうしてヨーロッパは、ローマの末裔であるラテン民族に並び、ゲルマン人が支配者となります。
しかし、そのゲルマン人が定着して数百年も経つと、9世紀頃には、さらに北から来たバイキング(ノルマン人)に侵略・蹂躙されます。南からはイスラム教徒がアフリカ経由で進出して来て、スペインのイベリア半島の大部分が占領された時代でもあります。13世紀にはモンゴル帝国が勃興して、東欧のポーランドにまで迫りました。14世紀には黒死病(ペスト)の蔓延が暗い影を落としました。

ローマ後の混乱の1000年間がヨーロッパにおける「中世」で、“暗黒時代”とも呼ばれていた厳しい時代です。この中世を経て、復興のルネッサンス期への移行時に、ヨーロッパは新大陸の富を得ることで、近代へと一気に飛躍することができました。

新大陸でのスペインによる圧政の数百年を説明するときに、ヨーロッパの原型を理解することも必要かもしれません。

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