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古代文明から始まるペルーの深い歴史
1821年にスペインから独立したペルーは、7/28の独立記念日で200周年となります。
近代国家として誕生してからは200年ですが、ペルーは南北アメリカ大陸の中でも特に古い歴史を持った国です。
最初の人類は、約1万3000年前頃の最終氷期に地続きのユーラシア大陸から到達したという「陸のルート」説や、さらに古い約1万4000年前頃にポリネシア経由で到達したという「海のルート」説など、諸説が考えられています。
そうして、南北アメリカ大陸で最古と考えられる都市遺跡が、ペルー太平洋岸にてカラル文化(別名:ノルテ・チコ文明)として紀元前3000年~2000年頃に開花します。
その後、古代文明はアンデス山脈に波及、紀元前900年~200年頃にチャビン文化が栄えて、その後のアンデス諸文明(諸文化)の原型となりました。
日本ではマチュピチュに代表されるアンデスの古代文明が目立ちますが、ナスカの地上絵などを始め、実は太平洋岸には多くの古代遺跡があり、アンデス高原と海岸低地の諸文明はお互いに交流して栄えていたのです。
インカ文明は実は割と新しく、12世紀頃のクスコ王国を前身に15~16世紀に栄えました。その勢力図はアンデス山脈に沿って北はコロンビアから南はアルゼンチン・チリ北部まで巨大んで、人口は約1600万人に及びました。
16世紀のスペインの侵略によりインカ帝国は滅亡します。
このとき現在の首都であるリマが、“スペイン副王領”の都として栄えることになります。ペルーやボリビアで採られた金や銀はリマの港からスペインに送られました。この膨大な富の収奪の時代を経て、1821年にペルーはスペインの支配を脱して、現在のペルーになりました。
日本との結びつき
日本とペルーの結びつきは強く、1873年に締結された“日秘修好通商航海条約”から外交関係が始まりました。その後の1899年の日本人の移民事業により、多くの日本人が多大な苦難の末にペルーに根付いていくことになります。
太平洋の対岸にあるペルーは、日本とはとても縁がある国です。
現在、鉱物から農産物や魚介類など多くの天然資源が日本に輸出されており、その存在感は強さを増しています。
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