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2019年に輸入が解禁された“ペルー産ミカン”
日本の冬に愛される「ミカン」は、正確には「温州(うんしゅう)みかん」という名前です。
近年はオレンジの輸入増加もあり、ミカンは国産の供給でほぼ100%となっています。
しかし、夏には食べることができないことから、この空いた時期を狙ってペルー産のみかんが輸入されるようになりました。
味も外見も日本のミカンと全く同じというのが私の感想です。
ミカンが栽培されるペルー北海岸は、温暖で乾燥した気候が最適な地域です。もともとは砂漠が広がっていましたが、入植した日系人はアンデス山脈から雪解け水を引いて灌漑して畑を建設しました。一粒一粒のミカンには、明治時代に海を渡って新天地を開拓した苦難の歴史がありました。
この「ペルー産みかん」には、どんな物語や背景があるのでしょうか。
日本からペルーへの移民事業
日本からペルーへの移民事業は1899年に「佐倉丸」で渡った約790人から始まります。
当時のペルーでは大農園での労働力(農業契約移民)としての受け入れが目的でした。実際にペルーに移住する日系人を待っていたのは、作物を育てるには不適な荒れ地ばかりで、大変な苦労をしての開拓がはじまります。言葉にならないほどの労苦の末に、多くの日系人は自作農として自立していきます。また農業を諦めた人々は都市部では理髪店や雑貨屋、クリーニング店などを営む人も現れて、徐々に広くペルー社会に根付き、大きなコミュニティを築きあげることになります。
それは日系人コミュニティとして経済的な成功をしただけではなく、ペルーにおける大きな信用を築きました。
農業発展に日系人は大きな貢献を果たし、現地の食生活の改善へと繋げました。
今では2世から3世へと引き継がれ、中南米でブラジルに次いで2番目に多くの日系人がペルーに居住しています。
日系人の移民が持ち込んだ苗
みかんの栽培が始まったのは今から約80年ほど前に遡るそうです。日本からみかんの苗を持ってペルーに移住した人々が、植えたのが始まりです。わずか数本から始まった苗は大切に育てられて、いま日本に輸出できるほどに大きな農園に成長したのです。
日本との貿易が加速するペルー
ペルーと日本の貿易は年々加速しています。CPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)の署名に伴い、2015年~2019年だけでも二国間の貿易は約4割も増加しているそうです。
鉱物などの天然資源が多くを占めますが魚介類(イカ・エビ・マス・ウニなど)や農産物(アスパラ、コーヒー、アボガド、バナナ、マンゴーなど)の輸入も増えています。
食料自給率が低い日本にとって、太平洋の対岸に位置するペルーは非常に重要なパートナーと言えるでしょう。
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