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インカの末裔“ケチュア族”
マチュピチュ遺跡の基点となるクスコはインカ帝国の都です。クスコ周辺はインカ以前から続く山岳民族ケチュア族の生活文化が今も色濃く残る地域です。ペルー旅行でマチュピチュ遺跡へ行くのなら、半日でも時間を作り、先住民ケチュア族の村を訪問したいところです。
インカ帝国の中枢:クスコとウルバンバ谷
インカ帝国の時代、クスコは巨大な帝国の都として栄えました。そして近郊のウルバンバ谷は皇帝の避寒地として農作物の試験場として重要な役目を担いました。クスコやウルバンバ谷周辺は、インカ文明の中枢であったのです。インカ文明を興したケチュア族は、今も南米大陸のアンデス山脈沿いに広く暮らしていますが、クスコ・ウルバンバ谷周辺では、今もかつての生活風景を連想させるカラフルな民族衣装をまとい、ケチュア族のアイデンティティを守り続けています。
ウルバンバ谷は標高約2800mに位置するために気候は温暖で、皇帝の避寒地として栄えました。谷の奥にはアマゾン地域とを隔てる関所のような役目を果たしたオリャンタイタンボ遺跡が有名です。
この谷と都クスコの間の草原地帯は、標高3500~4000mで厳しい気候ではありますが、キヌアやジャガイモ、トウモロコシなどを生産する豊かな畑作地帯が広がります。インカ文明以前の時代から、おそらく3000年くらいケチュア族はこの土地に暮らしています。そして今もまた、祖先が守ってきた畑で生活・文化を大切に守っています。中でも、大地のクレーター型の竪穴を利用した農業試験場「モライ」や、インカ以前の時代から染み出す塩を採取する「マラス塩田」は有名です。
都市で暮らす人々に比べてとても貧しく厳しい暮らしですが、共同体で一つになり、インカの神々に祈りを捧げながら素朴な営みを続けています。今も独自の言語“ケチュア語”を話しています。若者はスペイン語も話しますが、お年寄りはケチュア語しか話せない人がまだ大勢いるほどです。かつてインカを打倒したスペイン人も、とうとうケチュア族の文化を一掃することはできなかったのでしょう。
今では、かつてのインカの民としての自覚が日に日に増して、再びケチュア族はアイデンティティを取り戻しつつあります。これからのペルーの行く末にとって、“ケチュア族”はさらに重要な役目を果たすことになるでしょう。
ケチュア族の生活風景を撮影する
クスコから1時間も車を走らせると、農村の風景が広がります。起伏に富んだ地形で畑を牛で耕し、手作業で収穫をしています。
今もインカの神々への信仰を大切にしているので、農作業の間にも大地の神“アプー”や太陽神“インティ”への祈りを何度も見かけることができます。伝統文化と信仰は不可分であり、神様と生活は一体なのです。
先祖から伝わる祈りの道具を使い、トウモロコシの発酵酒“チチャ”やコカの葉を大地に捧げる祈りの風景を見ていると、アンデス山脈とケチュア族の繋がりに信仰が担う役割を感じます。きっと“信仰”が持つ本来の役目は大地と人との繋がりにあったのでしょう。
陽気に農作業をしながらも、どこか哀愁を感じさせる目で世界を見つめ、余所者には少しシャイなところが、ケチュア族の人々の性格というところでしょうか。
写真に撮られることを好まないケチュア族の人々を撮影するには、時間をかけることは重要です。人々の生活に敬意を持って接して、生活の一部を見せていただく「心の姿勢」があればわずかな滞在時間でも心を開いて見せてくれることでしょう。