パタゴニアのフィッツロイ山麓が晴天に恵まれたある日、山を歩いていると、そのあまりにも清冽な景色に心を奪われる。森、草原、小川のせせらぎ、氷河を抱く山々、全てが完璧に調和して、静かに我々を包み込むように優しい。世界の全てが宝石のように輝いている
あまりにも清浄で静謐なフィッツロイ山麓は、まるでヨーロッパ・アルプスの静かな田舎のような美しさだ
オーストリアの作家・シュティフターの名著「水晶」を読んだのはいつ頃だろうか。20年以上も前に読んだ短編「水晶」の世界観は、その後訪れたパタゴニアで、イメージを重ね合わせて山々を歩いたものだ。
シュティフターが表現するアルプスの自然は、静けさに満ちて、一見すると無言で厳しい自然に見える。その森羅万象から無限の愛をも受け取るような描写を、主人公に小さな子供を据えることで表現した。
自然への憧憬はとてもキリスト教的なもので、ヨーロッパの人々が感じる自然がいかなるものかを、この本を通して感じることができた。
シュティフターは、オーストリアのザルツカンマーグート地方のゴーザウという風光明媚な湖沼地帯の出身だ。ダハシュタイン山群という峻嶮な山々の山麓に、清冽で豊富な小川が何本も流れ、古木がさりげなく森を形成する。私もたまたま2、3回ほど訪れたことはあるのだが、アルプスの外れに位置するゴーザウは、心が洗われるような山域であった。その森と山の中で、シュティフターは感性を静かに研ぎ澄ませたのだろう
シュティフターの「水晶」を心に抱きながらパタゴニア・フィッツロイの山麓を歩き、シュティフター作品とパタゴニアの不思議な親和性に気づく。パタゴニアの自然が秘める静謐・清冽は、原始の自然が内包する共通の理であるからだろう。
自然とは無情で恐ろしい畏怖を人に与える面があるが、一方でとてつもない奇跡を人に見せることがある。それは微細な感性でしか察知できない
その予感を感じる場所を、人は「聖地」と呼ぶのかもしれない。
パタゴニアのフィッツロイ山麓は、紛れもない聖地なのだ。
◎「石さまざま」(岩波文庫・シュティフター著):この短編集の中の一つが「水晶」です