目次
「失われた都市」マチュピチュ遺跡
「空中都市」とも呼ばれるマチュピチュ遺跡は、アンデス高原とアマゾンの中間に位置する。標高2400mの尾根に建設された遺跡は、山麓からは全く見えず、欧米の探検隊の侵入を阻んでいた。その隠された都市もかつては山麓から標高差約400mに渡り、高さ3mの段々畑が延々と連なる堂々とした都市であったことが、発掘とともに分かり始めている。
いくつも謎を残すマチュピチュ遺跡だが、その最大の謎は何のために建設されたかだ。人々が生活をするための都市というよりは、祭祀センターとして存在していたと言われる。太陽信仰のインカ帝国では、夏至や冬至の観測は最も重要なことで、太陽の動きを観測しやすい山の上が神聖であった。マチュピチュが「空中都市」と呼ばれる所以だ
インカ帝国が16世紀にスペイン人の侵略に遭ったときに、インカの人々は口をつぐみ、マチュピチュ遺跡に繋がる道を封印してから、この神聖な都市を放棄した。それから約400年、マチュピチュ遺跡と、遺跡に繋がる道・インカトレイルは、人々に忘れられ、アンデスの密林に埋もれていたのだ
往時の繁栄を偲ぶ「石切り場」
マチュピチュ遺跡の全景を写真に収める展望台はいくつかあるが、特に一番好き場所は「石切り場」だ。遺跡の石組が切り出されていたこの場所は、放置された石の残骸がいくつも草原に埋もれている。
往時の賑やかに人々が働いたであろう様子をイメージしながら、今は草原となった石切り場からマチュピチュ遺跡を望む
日没間際、人々で溢れ返った日中とは異なり、静寂がマチュピチュ遺跡を包む。退場時間が迫るギリギリの時間、誰もいないマチュピチュ遺跡を、石切り場の草原から撮影した
関連ページ