草原にたたずむモアイは、どこか寂し気に遠くを見ている。モアイの頭の上には、ハヤブサが止まっていた。獲物を見つけるのに、モアイの頭の上はちょうど良い物見台なのだ。ときおりハヤブサが鋭く鳴く声を聴きながら、草に埋もれて風に吹かれるモアイを見ていると、そこには寂しさとは異なる爽やかな無常感をさえ感じる。
松尾芭蕉が藤原三代の栄華を歌った俳句のように、モアイはかつての栄華を漂わせつつも、今では自然の中に静かに没しているのだ。
イースター島は、かつて椰子の木に覆われていた。
ポリネシアから遠洋航海を経て人々がやってきたのは、7世紀頃といわれる。その後、10世紀頃から17世紀後半まで競うようにモアイが凝灰岩の岩山から削り出され、建立され続ける。時の権力者のお墓として建立されたモアイは、村を見守るために海に背を向けて島中に拡散した。
今確認されているだけでも、約900体ものモアイが見つかっている。一つのモアイを作るのに、専門の職工が数十人で約1~2年かけて、一つのモアイを作ったらしい。
椰子の木に覆われたこの小さな島に、モアイを乱造するだけの体力はなく、きっと大きな負荷がかかっていたのだろう。
17世紀後半にモアイ作成はピタリと止まり、その後の部族間の争いを経て、モアイは全てうつ伏せに倒されてしまった。
人々はモアイの意味も忘れてしまい、偉大な文明は忘却の彼方に消えたわけだ
椰子の木の森が消えた島では、島中が草原に覆われている。大平原から流れ来る風の中、草原を歩き山に登り周囲を見渡せば、絶海の孤島は、大海原の中であまりにも孤独な存在であることに気づく。
この一つの島が存在の全てであった当時の人々にとって、島はあまりにも小さく、海はあまりにも巨大な存在であったのかもしれない。
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