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インカ文明のヘソ「クスコ」とは
インカ帝国の都「クスコ」は、標高3400mに位置するアンデス高原の都市です。インカ文明の神話にも直結した神聖な都「クスコ」は、アンデスのケチュア語で“ヘソ”を意味します。その名の通り、クスコはインカ帝国のヘソのような役目を果たし、政治・経済・物流・情報・軍事・宗教の中心地として栄えました。
インカ帝国中に張り巡らされた「インカ道(インカトレイル)」は全長数万キロに及び、その中心がクスコでした。ヨーロッパでいえば、ローマ帝国のローマのような存在です。
1200年代からわずか400年ほどの短い期間に、インカ帝国はクスコとともに繁栄しました。それまでのインカ以前の古代文明の建築技術や芸術の積み重ねを一気に凝縮するかのようにアンデスの文化を開花させ、その究極の萌芽としてマチュピチュ遺跡が建設されました。
皮肉なことに、その絶頂期に突如ヨーロッパからスペイン人が侵入して、インカ帝国の息の根を止めるほどに破壊してしまいました。その破壊を免れた唯一の区間が、ウルバンバ谷から始まるインカトレイルとマチュピチュ遺跡です。3泊4日のテント泊で歩くインカトレイルは、かつてのインカ帝国にタイムスリップできる貴重なトレッキングなのです。
インカ建築とスペイン建築の融合した歴史地区
ペルーで最も美しい都市にも数えられるクスコの魅力は、スペイン統治時代に築かれた石畳の古い街路と、スペイン建築の白い街並みです。400年以上もの時間をかけて、風雨や人の往来に研磨された石畳は、全て中央広場「アルマス広場」に通じています。広場に面して、人々を威圧するように建設されたカトリックの教会も、今ではクスコ旧市街とアンデスらしい青い空に溶け込むように、クスコの風景として馴染んでいます。
その貴重な街並みは、世界文化遺産にも指定されています。
一見すると、スペインから古都を持ち込んだかのように見えますが、この町の基部はインカ時代の堅固な建築物に支えられています。スペインの侵略後に何度も大地震に見舞われて、その度にスペイン建築は破損しますが、基部のインカ建築はびくともしないほどです。
インカの人々を屈服させるために、インカの建築物を破壊して作り上げたのがスペイン建築物ですが、どうしてもその基部まで破壊することはできず、インカ建築にのしかかるようにスペイン調の都市が建設されました。インカ建築をとうてい隠し切れずに、町のいたるところにインカ文明が表出するようにして、インカ建築とスペイン建築が融合したのが古都クスコなのです。
クスコの町並みを歩くことは、その基部のインカ建築の偉大さを実感する町歩きでもあります。インカ建築の偉大さを最も示すのが、アルマス広場から5分ほどの街路にある「12角の石」です。
インカの芸術的な石材建築の究極「12角の石」
インカ時代の石組は、「カミソリの刃1枚も通さない」と言われるほどに精巧です。スペイン建築とインカ建築の違いは、クスコ旧市街では簡単に見分けることができます。石を自在に削り出すインカの人々はよほど石に執着していたのでしょう。インカ文明の遺跡のいたるところに、驚くほどに精緻な石組を見ることができます。
そのインカ建築の究極の挑戦ともいえるのが「12角の石」です。12角の幾何学的な石を見事に積み上げて隙間が全くなく、その芸術的な石組はインカ建築の象徴として有名です。
ピューマの形にデザインされたクスコ中心部
かつてインカ帝国の時代、クスコの町は、神聖な大地の神の象徴「ピューマ」の形を模して設計されました。アンデスの人々にとって、アンデスの氷雪峰が集まり、実り豊かなウルバンバの谷に囲まれたクスコは、アンデスの精霊に守られた神聖な場所でした。町を見下ろす丘などに、インカ時代の巨石を崇める遺跡は大小様々に残り、そこにはエネルギーが宿るとされています。クスコ全体がインカの人々にとってパワースポットのような存在だったのでしょう。
南米三大祭「太陽の祭り(インティライミ)」
毎年6月24日の冬至の日、クスコで「太陽の祭り(インティライミ)」が開催されます。南米三大祭の一つとして数十万人が集まる観光イベントにまで発展しています。今でもケチュア族の人々にとって神聖な祭りです。この日のために、インカ直系の子孫であるケチュア族の人々は、民族舞踏の練習をして何度も町を練り歩きます。この祭りの期間だけ、人々は先祖を懐かしむようにインカの民に戻り、かつての神聖な都を崇めます。
「太陽の祭り(インティライミ)」のクライマックスの式典が開催される郊外のサクサイワマン遺跡には、ペルー中から数十万人もが終結して、先祖の偉大な功績を称えるのです。
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