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アルゼンチン人:‟チェ”・ゲバラ
サンタクララの戦いで勝利を収めた革命軍によるハバナ進軍は、バティスタ政権の敗北と革命軍の勝利を世界に知らしめる象徴的な行進であっただろう。
その行軍のトップにいたのは、アルゼンチン人のチェ・ゲバラだ。
本名はエルネスト・ゲバラ。「チェ」とはスペイン語のアルゼンチン独特の方言で、友人などへの砕けた呼びかけを意味する。日本語にすれば「やぁ」とか「おい」に当たるだろう。アルゼンチン人は会話の途中に頻繁に「チェ」を入れることから、キューバ人はそれを面白がり『チェ・ゲバラ』と呼ぶことになった。
死後は、「エル」という男性定冠詞を付けることで半ば神格化され、「エル・チェ」はゲバラを意味するようになる。
ゲバラは、キューバ革命の一員として工業大臣も務め、革命の元勲として伝説的な存在だ。ラテン的なヒロイズムを体現するその姿はアイコン化され、今も世界中で愛されている。
「ゲバラはアルゼンチン人である」ということはあまり言及されることはないのだが、そこは重要なポイントだ。
キューバ政府の要職を外国人であるゲバラが務めるとは、どれほどキューバ人に信頼されていたのだろうか。
‟チェ”・ゲバラの誕生
“アルゼンチンの医学生:エルネスト・ゲバラ”が、“革命戦士:チェ・ゲバラ”として、いかに生まれ変わったのか。
それは、映画『モーター・サイクル・ダイアリーズ』で見るとよく分かる通りに、ラテンアメリカを一周する長い放浪で見て感じた思いが、不条理に満ちた社会の「革命」へと彼を駆り立てるきっかけとなった。
では、その彼をして「ラテンアメリカ放浪」に駆り立てたのは何だろうか。その点が“アルゼンチン人”という国民性と時代背景にあると思う。当時のアルゼンチンには社会主義に共感する素地があった。
人種構成的にも他の中南米諸国と異なり、スペイン人とイタリア人の移民が大半を占めることも、“アルゼンチン的な”自覚がある所以だろう。アルゼンチンのスペイン語に独特の方言が多く含まれることにも、中南米の中で独特な存在であることを感じることができる。
時代を振り返ると、アルゼンチンは第二次世界大戦を無傷で過ごし、大戦中はヨーロッパへの輸出で大いに繁栄した。アルゼンチンは南米一の大国であり、先進国の一つでもあった。当時のアルゼンチンには、「中南米の盟主」としての誇りや自覚があった。
大戦末期にはペロンとエビータが台頭し、外資系企業の国営化や労働者の賃上げに始まる、社会主義色の濃い“ペロン主義”が席巻していた。ゲバラの少年時代は、アルゼンチンがペロン主義に熱狂した時代であった。
そのような社会の雰囲気の中で、南米にはびこる矛盾に対して、相対的に豊かなアルゼンチンに何ができるだろうかと、ラテン的な情熱に燻る若者が多くいたのだろう。
ゲバラは南米を巡り、抑圧された環境で生きる先住民の姿を目の当たりにすることになる。
フィデル・カストロとの運命的な出会い
ここからはゲバラの天性で、「革命」に参加するという飛躍を果たすことになる。
メキシコでのフィデル・カストロとの運命的な出会いの後、軍医として運動に参加した。
そして、フィデル・カストロの指揮下、ボート・グランマ号に乗り、わずか82人でキューバに上陸する。82人はたちまち12人に減ってしまう。
信じられないことに、このときカストロは「これでバティスタの命運は尽きたな」と宣言した。
“神秘的なまでの確信”とともに、12人から武装蜂起を続けて、バティスタ政権を打倒することになる。
この武装闘争の中で、ゲバラは自ら銃を取り、そのまま指導者になってしまった。これはゲバラが持ち合わせた天分だろうが、その素地にはアルゼンチン人としての国民性や時代背景が根っこを形作っていただろう。
ゲバラが育った時代がアルゼンチンの絶頂の時代であり、以後は半世紀以上もの間、緩やかな衰退を続けている。工業は衰退したが、畜産業や天然資源が豊富な国なので、南米の中では豊かな水準を維持している。
ラテン気質で鷹揚とした国民性は健在で、今もアルゼンチンは南米の中で独特な存在なのだ。