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古代の海洋文化圏を軸に結ぶ太平洋のルート
ハワイ、ニュージーランド、イースター島の3つを結ぶ広大なエリアが、ポリネシアと呼ばれる地域です。マゼランやクック船長が来るはるか数百年、あるいは千年以上も前に、すでにポリネシア人はイースター島に到着していました。
海を渡ってきたことは確かですが、西洋主観の考えでは、ポリネシアの人々が高度な航海技術を持つことは信じられず、長らく謎の一つのように考えられていました。それは実際に行われていたのに、絵空事のように考えられていたのです。あるいは航海による到達ではなく、嵐などの突発的な理由で海流に流された人々の奇跡的な生き残りなのだと今でも言われる話です。
しかし、実際にポリネシアの人々は海流に流されただけではなく、太平洋の島々を往来をしていたことが立証されてきています。
この航海技術を再現した有名な船が、ハワイのホクレア号です。このホクレア号は航海型カヌーと呼ばれる双胴の帆船です。1970年代にハワイからタヒチへ正確に到着したことで、ホクレア号は一躍有名となり、それは民族の誇りを復活するシンボルともなったのです。ハワイに住む先住民の大半が、アメリカの植民以降は伝染病などで死に絶えました。その中でポリネシアの文化は欧米よりも劣るものと刷り込まれていました。ホクレア号の航海は、ポリネシアの人々を大いに勇気づけて、ハワイの文化復興に発端となり大きく影響しました。
当然のことですが、言語的にもこのポリネシアの島々には共通点は多く、かつてこの地域に巨大な海洋文化圏が存在していたことを裏付けています。イースター島はその広大な文化圏の東端なのです。
イースター島の文明は、西暦1200年頃から18世紀にかけて栄えていたと言われます。そのモアイの文化は思った以上に新しく、1774年にクック船長が到着した際には、まだモアイは直立していました。モアイが全て倒されたのは19世紀に入ってからのことでした。
かつて航海型のカヌーでポリネシアの人々は自由に往来していたたことはイメージできてきますが、その延長線上に南米大陸があることは信じがたいことでしょうか。しかし、1940年代には有名な「コンティキ号」の航海が行われ、ペルーからポリネシアに実際に到着しています。
南米大陸への人類の到達は、アリューシャン列島が地続きであったベーリンジアの時代に、北米から廻ってきたというのが一般的です。それは正しいですが、太平洋を経由した海のルートもあったことを認識する時代が近づいているのかもしれません。
ペルーやエクアドルなど、南米大陸の太平洋側の国々で博物館に行くと、古代の遺物の多くを目にします。それらはどことなくポリネシアやアジアを感じることでしょう。実際に博物館に行けば、特に日本の縄文土器にとても似た遺物があることに驚くことでしょう。
かつてポリネシアの海洋文化圏は、南米大陸に繋がっていただけではなく、西は日本とも繋がっていた、としたら。
人類拡散のルートの定説に、太平洋の「海の道」が加わることで、そしてそこに日本も繋がっていたかもしれないと想像すると、南米大陸への興味はさらに深く身近に感じられるのではないでしょうか。
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