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“スペインの中の異国” バスク地方とは
スペイン北部・大西洋のビスケー湾に面するバスク地方は、山と海に囲まれた峻険で閉ざされた地形から、古代より独自の文化が栄えました。
バスク人のルーツは謎に満ちていて、北欧ケルト民族とも、グルジア方面のコーカサス山脈からやってきたともいわれています。いずれにせよ、ヨーロッパに農耕をもたらした最古の民族を継承する人々であることは遺伝子的にわかってきているそうです。
ローマ帝国が繁栄した時代に、イベリア半島はローマ人により開発されて拓かれました。そのローマ人もバスク地方にはあまり干渉をしなかったことは、その後のバスク地方に独自性を残した要因なのでしょう。イベリア半島がイスラム王朝に支配された時代も、イスラム教徒はバスク地方に侵入することはなく、峻険な地形に守られていました
その独自性は前述の通りに地政学的な理由が大きく、東と南をピレネー山脈に、西はカンタブリア地方やアストゥリアス地方の山岳地帯、北には冷たい北大西洋のビスケー湾に囲まれることで、外界から閉ざされていたのです。
このことから、バスク地方の人々にとってスペイン人という自覚よりも「バスク人」としての自覚が深く強いのです。
謎に満ちた言語:バスク語
今日のバスク地方ではスペイン語が公用語ですが、同時にバスク語も話されています。町を歩けば、看板にはスペイン語とともにバスク語でも書かれていることに気づくでしょう。
その起源も解明されていない「バスク語」は、類似する言語がないことから、世界で最も難しい言語ともいわれます。
あまりにも難しいことから“悪魔の言語”などと冗談で言われるほどに難しいのですが、バスク人にとってバスク語とはアイデンティティそのものです。古来からスペインとの関係の中で、バスク語は何度も迫害を受けていましたが、20世紀中盤のスペイン・フランコ独裁政権による弾圧は苛烈で、バスク語の話者は大きく減少しました。
「バスク祖国と自由(ETA)」の激情と、バスク人の再興
そのような弾圧の時代に生まれたのが「バスク祖国と自由(ETA)」というテロ組織でした。それは中央のマドリッドの政府による同化政策への反発であり、激しい怒りの象徴でもありました。
その後、1975年の中央政府のフランコ政権の終焉とスペイン政府の民主化により、反政府活動は徐々に静まり、バスクの自治権も大きく回復していきます。今ではバスク語は自由に話すことができます。
現在のバスクは観光(ツーリズム)に注力することで大きく発展して、バスク人としての自覚と自信を取り戻している時代です。
バスクに漲る活力は、バスク人としての民族の復興が源なのでしょう。
「4+3=1」とは
かつてバスクには「4+3=1」というスローガンがあったそうです。4はスペイン領バスク4県、3はフランス領バスク3県を指しています。本来のバスクはこの合計7県が1つだという強力な“バスク主義”なのです。今も細やかに活動を続けるバスクのナショナリズム運動では「7つは1つ」というスローガンが掲げられています。
確かに、バスク地方の古都サンセバスチャンから車で1時間も東に走ると、フランス国境です。そして国境より東のフランス領もまたバスク文化圏です。
“国境”という概念の歴史は意外に浅く、16世紀頃に「近代国家」が生まれる過程で付随して生まれました。大地に見えない線を引いて分断することで、世界の歴史は近代の幕を開けます。この近代国家の誕生とともに、世界で多くの少数民族が分断を余儀なくされたのです。
バスク7県の統合とは、今でこそ不可能に近い理想ですが、バスク人であれば、誰もが根底に持つ理想でしょう。
日本人に似ている?バスク人の気質
バスク人と話していると、日本人に対する親近感を感じるものです。バスク人も同じように感じているそうです。スペイン、フランス、イタリアなど、南欧はローマ帝国を基礎とするラテン文化圏の中にあって、独自の言語・文化を持つバスク人は真面目で細かいことが特徴です。地中海的な明るい気候と異なり、バスクの温暖で湿潤な気候と外界から閉ざされた陸の孤島としての来歴が、どことなく日本人にどこか共通するような“バスク人”的な気質を育んだのでしょう。
バスクの飛躍はいま始まった
バスク人が独自の言語・文化への誇りを回復することで、いまバスクは大きく飛躍しようとしています。
食事で言えば、「ピンチョス」という新しい食文化を世界に発信することで、世界のグルメがバスクを訪れます。そして、アート(芸術)への意気込みもまた強く、州都ビルバオは“芸術の都”と言われるほどで、グッゲンハイム美術館は世界的に有名です。
山と海の恵みは、食や文化だけではなく、美しい風景をも育みます。山岳地帯や海岸線にはまだあまり知られていない絶景があります。今後、ハイキングルートも大きく開拓されるでしょう。
同時に、スペインを横断する「サンティアゴ巡礼路」の一つ「海の道」がバスクを横断することから、バスクへ歩きに来る人は年々増えています。
かつてスペインの中で辺境にあったバスク地方は、世界に積極的に発信することで、「スペインの中の異国」とも呼べるオリジナリティとともに、魅力を増していくでしょう