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ブエノスアイレスに生まれた場末の音楽「タンゴ」
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの港町ボカ地区で、1870年代に生まれたのがアルゼンチン・タンゴです。
当時のブエノスアイレスは農作物の輸出で繁栄を極め、大草原パンパにヨーロッパのパリを模倣するような大都市が出現します。ヨーロッパの人々から見れば、新大陸の活況は楽園のように伝えられ、続々とアルゼンチンへ移住して行きます。今のアルゼンチンの人種構成の元となるように、イタリアとスペインから大量に押し寄せたのを始め、アフリカ大陸やアンデス山脈からも低賃金の労働力として、ブエノスアイレスにやってきます。
好景気に沸き返るブエノスアイレスで、故郷への郷愁を募らせて労働者は港町の酒場に集い、踊り始めます。アフリカ系や、アンデス山脈のフォルクローレのリズムも融合する中で、独自の音楽とダンス「タンゴ」が生まれました。
タンゴの起源は貧民街で労働者たちが踊り始めたことにあるので、常にどこか物憂げで光と闇が混在するような雰囲気があります。タンゴを一言でいえば「哀愁と情熱」だと表現される背景は、ボカ地区にあるのです。それはアルゼンチン人の国民性を反映するように、アルゼンチン人はどこか物憂げでありながらな一面もあります。
タンゴ発祥の時代は、楽器はバンドネオンが中心でしたが、愛好者が労働者からアルゼンチンの国民的な音楽として浸透する中でピアノも取り入れられていきます。
タンゴ音楽の功労者
アルゼンチン・タンゴの世界は1930~1940年代に確立されて以来、今もなお当時を越えることができないという葛藤があります。当時の天才歌手カルロス・ガルデルが作詞家アルフレド・レ・ベラとともに作り上げた古典の名作は、あまりにもタンゴで偉大なのです。
その後、天才的な作曲家にしてバンドネオン奏者であるアストル・ピアソラが登場して、アルゼンチン・タンゴは完成へと向かいます。ピアソラは、クラシックやジャズの要素を加えて、格調高い音楽へとタンゴを発展させました。名曲「アディオス・ノニーノ」や「リベルタンゴ」は世界的な名曲です。
タンゴ・ディナーショーで見るステージ・タンゴ
ブエノスアイレスには、「タンゲリア」と呼ばれるタンゴショーのお店がいくつかありあす。夕食もセットされていて、最初はコース・ディナーを食べながら、タンゴを待ちます。デザートの頃にタンゴショーは始まり、約2時間ほど続きます。ブエノスアイレスのトップクラスのダンサーとバンドネオン奏者が奏でるリズムは一見の価値があるでしょう。
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