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インカの段々畑「アンデネス」とは
アンデス山脈の遺跡の特長といえば、幾重にも連なる段々畑がすぐに思い出されるだろう。
この段々畑は、「アンデネス」と呼ばれる。
山の斜面を隅々まで使うかのように、インカ時代、そして前インカ時代の人々は、とてつもない執念でどこにでも畑を作ったのだ。
マチュピチュ遺跡を始め、インカトレイルの各遺跡、あるいはチチカカ湖など、この段々畑は南米の広大な面積に広がり、その多くが今も現役で使われている。南米のアンデス諸国に行けば、どこにでも目にする段々畑は、全て遺跡でもあるのだ。
畑を耕していたら、古代の遺物が掘り返されることは頻繁で、それらの意味は分からずに畑の石垣や階段に使われていたりする。古代遺跡と現代は溶けあうように繋がっていて、切り離すことはできない日常だが、その技術や意味は多くの人から既に失われたこともまた確かだ。
インカ文明の知恵の結晶
標高差で数百メートルに渡り、段々畑が上下に連なっている。この高低差は古代の人々の知恵でもある。一つの畑の面積は狭く維持管理に手間がかかるが、高低差による温度の違いを利用して様々な作物を栽培していた。
マチュピチュ遺跡を覆う段々畑(アンデネス)は、一番高い所では、マチュピチュのシンボルとして誰もが知る裏山・ワイナピチュ峰の山頂部まで続く。一番低い所は、まだジャングルに埋もれて発掘されていものの谷底まで続き、その標高差は約1500mに及ぶ。
一カ所に一つの作物を集約するのではなく、一カ所に様々な作物を収穫できるシステムにより、流通が途絶えても生き残ることができる。
この段々畑・アンデネスの構築により、アンデス山脈に隈なく、インカ系諸部族は拡散・発展をすることができた。
アンデスの古代文明の鍵は、段々畑・アンデネスにあるのだ。