Loading

風景写真家・松井章のブログ

パタゴニア開拓史:イギリスとの因縁

1.jpg
パタゴニアに自生するイネ科の植物・コイロンが、羊の好物であることを発見されて以来、パタゴニア中のほとんど全ての土地がパッチワーク状に区切り分配されていく。
19世紀後半の開拓時代の初期、最初に羊をもちこんだのはイギリス人であった。当時のアルゼンチン政府はまだパタゴニアの価値に気付かず、手つかずのまま放置していた。チリとの国境線も曖昧なままであった。
こうした状況の中、イギリスのウェールズやスコットランドなどから移民が押し寄せて、パタゴニアの牧場化が進んで行く。フォークランド諸島の開拓も、この時代にイギリス人により行われたことが、後の紛争の遠因となるのだ。
当時、南部パタゴニアのサンタクルス州では、イギリスのポンドが流通していた。
イギリス王室の積極的な投資もあり、アルゼンチンにおけるイギリス資本の存在はますます大きくなり、鉄道会社までも買収することになる。
その反動として、後々のペロン大統領による国営化(外国資本の排除)・ペロン主義の時代へと繋がっていく。
第一次・第二次世界大戦ともに、南米大陸は無傷であったことも大きな追い風であった。“ウール・ラッシュ”に乗じて、一気にパタゴニアは羊毛の世界的な産地として発展する。
2.jpg
3.jpg
4.jpg

メリノウールの毛刈り行程:パタゴニア

パタゴニアのエスタンシア:観光牧場として新たな発展

関連記事

  1. パイネ国立公園:グアナコと食物連鎖の果て-パタゴニア

    2016.05.14
  2. マルコーニ峠の氷河谷に点在する迷子石

    2015.05.19
  3. 紅葉とフィッツロイを撮影する(パタゴニア)

    2016.02.05
  4. 南米アンデス山脈に生息する“4種類のラクダ”記事集

    2020.05.06
  5. パタゴニア・パイネ国立公園: 黎明の静寂を撮影

    2016.09.13
  6. パタゴニアの大草原の家

    2024.05.06
パタゴニア
2025年1月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

最近の記事

アーカイブ

PAGE TOP