パタゴニアに自生するイネ科の植物・コイロンが、羊の好物であることを発見されて以来、パタゴニア中のほとんど全ての土地がパッチワーク状に区切り分配されていく。
19世紀後半の開拓時代の初期、最初に羊をもちこんだのはイギリス人であった。当時のアルゼンチン政府はまだパタゴニアの価値に気付かず、手つかずのまま放置していた。チリとの国境線も曖昧なままであった。
こうした状況の中、イギリスのウェールズやスコットランドなどから移民が押し寄せて、パタゴニアの牧場化が進んで行く。フォークランド諸島の開拓も、この時代にイギリス人により行われたことが、後の紛争の遠因となるのだ。
当時、南部パタゴニアのサンタクルス州では、イギリスのポンドが流通していた。
イギリス王室の積極的な投資もあり、アルゼンチンにおけるイギリス資本の存在はますます大きくなり、鉄道会社までも買収することになる。
その反動として、後々のペロン大統領による国営化(外国資本の排除)・ペロン主義の時代へと繋がっていく。
第一次・第二次世界大戦ともに、南米大陸は無傷であったことも大きな追い風であった。“ウール・ラッシュ”に乗じて、一気にパタゴニアは羊毛の世界的な産地として発展する。