パタゴニアの開拓史は、私にとって一番魅力的な時代です。
なかでも20世紀初めのアゴスティーニ神父が活躍した時代が、パタゴニア開拓史で最も輝いて見えます。
とてつもない自然を前に、開拓民が繰り広げた苦労の歴史は、後世の私にはとても躍動的な時代に見えるからでしょう。圧倒的な自然を前に茫然としながらも、手探りで繰り広げられる人々の生活と開拓、そして探検。
私にとって最もシンボリックな開拓史の出来事は、有名な探検家による探査でも、開拓史を左右するような史実でもありません。
フィヨルドの奥深くに築いた牧場が、ピオ11氷河に翻弄される話です。
私のとても好きなお話なので、アゴスティーニ神父著の「Andes Patagonicos」を和訳して、少し長いので2回に分けて載せます。個人的な意訳とご理解いただきお読みください。
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『ピオ11氷河は、パタゴニアの西側フィヨルド地帯の中で最も大きな氷河の一つである。この氷河は、1925年に拓かれたばかりの小さな牧場を飲み込み、数年間で驚くべき前進を果たした。
存続期間の短かったこの牧場での出来事は、とても稀に見る珍事である。それは牧場を建設したノルウェー人・サムシン氏から直接聞いた話だ。
牧羊産業が最初の発展期にさしかかり、思いもよらぬ富をもたらした数年前(1920年代前半)に、マゼラン地方の開拓者たちは好景気に乗じて、牧場を建設する場所を求め、山脈や水道のより深く未開の地へと熱心に探索していた。
その中の一人がノルウェー人のサムシン氏であった。彼は1924年にマゼラン海峡の水道沿いに探査行を始めていた。彼はその旅でアイレ湾の奥地、沖積土と古い氷河のモレーンの上に、豊かな牧草を有する広い草原を見つけた。牧羊に適した土地を発見したことで探査を終えて、小さな牧場を建設することに決めた。1925年2月に、彼は牧場建設地への資材と人員の海上輸送を始めた。その数ヶ月後、人里遠く離れた谷の大きな川の岸に、3軒の小屋、毛刈り用の倉庫、羊毛の納屋が建てられ、約200頭の羊と数頭の馬や牛が放牧されて牧場が建設された。
秋が来て、数ヶ月の厳しい冬の寒さのなか、雪と飢餓で多くの家畜に被害が出た。そうして春が来て、いよいよ衰弱した群れを復活させる時季に、思いがけず突然にピオ11氷河が上流から前進を始めたのだ。氷河の前進は外界との水路の交通を分断するほどで、牧場の存続には致命的なものであった。』
<続く>