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ジム・ブランデンバーグの傑作「白いオオカミ」
「白い狼」と聞いてすぐにイメージできる人はそういないだろう。
北極の環境に適応した狼の希少種・白いオオカミは、北極点からわずか800キロのカナダ・エルズミア島に生息する。一年の大半が雪で覆われる土地も、近年の温暖化の影響は免れないだろう。すでに地球において、オオカミやホッキョクグマが駆けた時代は過去の伝説になってしまったのかもしれない。
ジム・ブランデンバーグの写真集を思い出したのは、ふとした会話の瞬間であった。表紙の狼が氷海でジャンプする写真はあまりにも印象的で、20年以上前に買った本をすぐに思い出した。
かつて夢中になって読んだその本は、今でも本棚に飾っているのでいつでも見れるが、実際に写真集を開けるのは20年ぶりであった。写真集といえども、本にはびっしりと文章が書かれているので、「動物誌」といった方が正確だ。
そして「本」との出会いと再会とは不思議なもので、偶然の連鎖の果ての縁は、ときに長い年月を経て再び繋がることもある。150ページに及ぶ名作にすぐに夢中になり、あっという間に読み切ってしまった。
オオカミの記録として、この作品が稀有なのは、作者のオオカミへの愛情の深さだ。オオカミというと、人に危害を与えるという誤解は有史以来続く。そして事実として、有史以来、人を襲った記録は一つもないのではないだろうか。しかし害獣として世界中で迫害を受けて、多くの土地で既に絶滅してしまっている。作者はオオカミへの誤解を解くために、オオカミの真実の生態を伝えようとする。
エルズミア島に訪れる短い白夜の季節、数カ月間もキャンプしながら、オオカミのテリトリーで生活をする中で、オオカミ達と無言の信頼関係を構築した。
オオカミの真実の生活を伝えるために時に擬人化して記録しつつも、真摯に伝えるために抑制を効かせた筆致で記録する。それでも、筆者のオオカミへの溢れんばかりの愛情は、文章の全体から滲み出てくる。
人間のように高度に社会性を持つオオカミの生活は、人間社会よりもリアルで、生きるためには残忍でもある。時に笑えるような自然がもたらす不思議な瞬間もある。リアルな自然の摂理にはどこかユーモアや意外などんでん返しが用意されている。
オオカミを取り巻く自然と、ジャコウウシやホッキョク・アジサシ、キツネやホッキョクグマ、そしてカリブー(野生のトナカイ)との緊張感ある生命のやり取りは物語のようだ。オオカミの生活をなるべく乱さないようにしながらも、執拗に彼らの生活を追うとてつもないエネルギーは、写真集の写真と文からひしひしと伝わるだろう。
1980年代に記録された写真と文章は、鮮烈で愛情に満ちているので、30年の時空は難なく越えてしまう。
しかし、おそらく約30年前のエルズミア島の環境は大きく変わっているはずだ。ホッキョクグマの生息が危ぶまれる現在、数万年も同じ土地で代々受け継いできたオオカミの生活も大きな危機を経験しているに違いないだろう。
そんな意味で、地球の1ページを飾った極北の白いオオカミの一族の歴史は、ノスタルジックな記憶に変わりつつある。
伝説のカメラマンの全てを賭けた執念の記録が、「白いオオカミ」なのだ