目次
名峰フィッツロイの由来とは
アルゼンチンの南端部・パタゴニア地方のアンデス山脈は、針のように鋭く尖る山がいくつもあります。
その針峰群の中でも、特に有名な山はフィッツロイです。
堂々とした山容は、訪れる人に神格化されるほどの存在感で、多くの人を魅了しています。
このフィッツロイという山は、もともとはこの土地に暮らしていた先住民テウェルチェ族(別名:アオニケン族)に、「チャルテン」と呼ばれていました。
意味は、「煙を吐く山」という意味です。
フィッツロイの周囲には、常に雲が渦巻くように流れていて、まるで噴煙を吐く火山のように見えたからです。
実際に、19世紀後半にヨーロッパから訪れた探検隊も、この山を活火山と考えていたほどです。
この雲の原因は、フィッツロイの裏側にあります。
花崗岩の針峰の裏もまた垂直の岸壁が複雑に入り組みます。
その向こうには、世界で3番目(1番は南極、2番はグリーンランド)に次ぐ大きな氷原、パタゴニア南部氷原が広がっています。
南極から吹く湿った風がこの氷原に常に当たっているのです。
その気候の荒々しさは世界有数で、そのために膨大な降水量をもたらし、数百の氷河の源流となったのです。
パタゴニアの自然にとって、南部氷原は水源であり、荒々しい母のような存在なのです。
先住民テウェルチェ族は、草原にて狩猟採集で生きる民でしたが、人口はとても少なく、イギリスやアルゼンチンの侵略になすすべもなく駆逐されてしまいます。
この時代に、先住民にチャルテンと呼ばれた山は、「フィッツロイ」と名付けられました。
名付けたのは、スペインの探検家アントニオ・ビエドマです。
1877年に、この探検家はこの山を発見しました。
ヨーロッパの文化では、山の名前に人の名前を付けるのが当時の風習でした。
彼らが選んだ名前は、1877年にこのパタゴニアを探検したビーグル号の船長であるロバート・フィッツロイでした。
こうしてかつて先住民が駆けていた時代は終わり、パタゴニアの大地は私有地に区画分けされて、牧羊の時代が始まろうとしていました。