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インカ文明の聖地「マチュピチュ遺跡」
標高2400mの峻険な尾根に建設されたマチュピチュ遺跡は、インカ文明の科学が結集された場所でした。
神聖な宗教センターとして建設されたという説があれば、皇帝パチャクティの離宮として建設されたという説もあります。
人が居住するアンデス山脈から遠く離れた山奥で、単なる聖域としてではなく、自給自足できる街として独立して機能していたことでしょう。
インカ帝国は、首都クスコを中心に標高3000m以上のアンデス高原を中心に成り立っていました。
アンデス高原に比べると標高が低く、マチュピチュ遺跡はアマゾンの熱帯雨林から湿った空気が上がってくる場所にあります。
インカ帝国のケチュア族の人々は、アマゾンの湿った空気を好みはしないので、この標高にこれほどの都市を作った理由はいったい何だったのでしょうか。
とはいえ、この遺跡が機能した期間はごくわずかでした。
インカ文明の絶頂期である15世紀にこの宗教都市は建設されたのですが、16世紀初頭にはスペイン人が侵略してインカ帝国を滅ぼしたからです。
まさに侵略者から隠すように、マチュピチュ遺跡へ通じる道(インカ道)は閉ざされて、歴史に登場するのは20世紀の初めとなります。
マチュピチュ遺跡の石工職人の地区
マチュピチュ遺跡は、細かい都市計画に基づいて建設されました。
農業地区の段々畑を抜けると、都市区のメインゲートがあります。
この門をくぐると、そこで人々は働き、暮らし、祈りをしていました。約700人前後の人が暮らしていたと言われます。
このゲートの裏には、石工職人が働いていたと考えられています。
マチュピチュ遺跡の建築資材はその場で採石されました。
切り出した岩は、この石工職人の地区に運び込まれて、職人たちが加工していたと考えられています。
マチュピチュ遺跡には、霧がとても似合います。
周囲の山々が望めないのは残念ですが、その神秘的な存在感を感じるには、私は霧が不可欠だと思っています。
5月~10月の乾季でも、アマゾンの気候の影響を強く受けるので、特に朝は霧に覆われる可能性が高いようです。
霧の向こうに見え隠れする建物や山々を見ながら、職人区を抜けると、いよいよ風景はマチュピチュらしくなります。
▲チンチラカ科のビスカチャ。ビスカチャはネズミの仲間だが、見た目はウサギに近く愛らしい。