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モアイ文明のあらまし
ポリネシアの海洋民族の一派が、絶海の孤島イースター島にたどり着いたのは、5世紀前後と言われています。
彼らは自然豊かな島に定住し、約1000年の時をかけて、モアイを中心とした独自の文明を築きました。
巨岩から切り出したモアイ像を立ち上げて、最後にサンゴと赤色凝灰岩でできた目をはめ込み、村の守り神として祭ったのです。目に外敵から守るマナが宿ると考えて、モアイは村の外側、あるいは海を向いていたそうです。
このモアイ像が倒されて文明が崩壊したのは、割と最近のことで、大航海時代から近代にかけて、と考えられています。
その証拠に1722年にヨーロッパ人がこの島に来たときには、まだモアイ像が立っていたという記録があるからです。
しかし、1774年にイギリスの探検家ジェームス・クックが来たときには、すでにモアイの半数が倒されていました。
島に広がる大草原の理由
かつてイースター島は森林に覆われていました。
ポリネシア人がたどり着き、文明が発展する過程で、森林が消滅したと考えられています。
今では、島は草原に覆われていて、草原にたたずむモアイには悲哀を感じてしまいます。
この森林破壊の原因に、文明の発展と人口増加が関係していますが、もう一つの説もあります。
それは大航海時代にたどり着いたヨーロッパ人の船から、ネズミが島に逃げ出した、という説です。天敵のいない島で、ネズミはあらゆる物を食べつくし、文明さえも追い詰めたのかもしれません。
海洋民族・ポリネシア人の祭り
モアイ文明の栄華を偲ばせるのは、今ではモアイだけです。
文字を持たなかった人々の記憶は薄れていますが、いま少しずつかつて文明を築いたポリネシア人としてのアイデンティティが復活しようとしています。
年に一回、2月に「タパティ祭」は開催されます。
島中の数万人の人々が集い、ポリネシアの伝統的なボディペイントで全身を覆い、島を練り歩きます。
人々は山車を引いているのですが、音楽は特にありません。人々はまるでトランスするかのような熱気とともに、無心で歩いているようです。
島に定着することで、遠洋航海の旅を終えたモアイ文明の人々ですが、その名残を山車に見つけることができます。
山車は、アウトリガー・カヌーの形をしているからです。そして、山車の周りの人々は、カヌーを漕ぐパドルを持っています。
カヌーとパドルは、たとえ遠洋航海を止めたとしても、捨てることのできない民族の象徴なのでしょう。
【動画】イースター島の絶景スポット:モアイ文明の謎
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