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風景写真家・松井章のブログ

アンダルシア地方の古都・グラナダの歴史

オリーブの丘陵地帯:アンダルシア地方

波打つゆるやかな起伏の丘陵地帯は一面オリーブ畑に覆われている。

この豊かな平野はベガと呼ばれ、アンダルシア地方ならではの景色ともいえるでしょう。
そして、鋭く照り付ける太陽の光と濃い影もまた、アンダルシアらしいのかもしれません。

地中海に近く、背後のシエラネバダ山脈からの水の恩恵も得られる場所に、古都・グラナダがあります。
中世の街並みが残る旧市街を歩けば、フラメンコ・ギターの音色がどこかから聞こえてきます。

「ざくろの実」グラナダの歴史

古代史

イベリア半島には、紀元前8世紀ころから、先住民イベリア人が住んでいました。先住民は大きく組織化されていなかったことから、地中海からスペイン各地に、フェニキア人、カルタゴ人、ギリシア人が入り込み、植民都市を築きます。
かの有名なカルタゴのハンニバルもまた、スペインに都市を築いた一族の一人でした。北アフリカのカルタゴが、アルプスを越えてローマに侵攻することができたのも、スペインに地盤があったのが大きいのです。

これらの植民都市は、現在のスペインの大都市の原型ともなっています。各都市で工事をするたびに遺跡が発掘されるのもそのためです。

紀元前2世紀には、ローマ帝国がイベリア半島を支配するようになりました。グラナダの近くでいえば、マラガにあるローマの劇場跡が有名です。スペイン各地に残る多くの古代遺跡、水道橋や劇場跡などの多くはローマが築いたものです。
そして、ローマ人が話したラテン語を元に、スペイン語の原型が出来上がりました。

イスラム統治時代


ローマによる安定もローマの没落とともに揺らぎはじめ、8世紀にイベリア半島のほとんどがイスラム教徒のウマイヤ朝によって支配されます。

ウマイヤ朝は、イスラム教徒の名門であり、首都ダマスカスから、東はバグダッド、そして西は北アフリカから、スペインのイベリア半島をも支配していました。

当時の世界史では、地中海と中東が文明の中心地でした。イベリア半島やその先のヨーロッパは彼らには未開の土地に見えたことでしょう。

はるばる中東から進軍したイスラム教徒は、辺境のスペインの地にたどり着き、いったいどのような気持ちであったのか。彼らがダマスカスの宮廷を懐かしむように、グラナダに優雅なアルハンブラ宮殿を築いたのは、アラビアへの郷愁が原動力であったのは間違いありません。

「グラナダ」は“ザクロの実”を意味する名前で、はるか遠くの豊かなアラビアの都市を再現しようとしたのです。

イベリア半島で根を下ろしたイスラム教徒の王国は、異教徒にも寛容なことから、グラナダは大いに繁栄しました。キリスト教もユダヤ教徒も、イスラム教徒と同じように生活する権利を持ち暮らしていました。

イスラム教徒によるアンダルシア地方の占領は約800年に及ぶ長いものでした。

グラナダ中心部のそばにある「アルバイシン」地区は、丘の斜面にある迷路のような町で、ここにイスラム教徒やユダヤ教徒が多く住んでいました。

キリスト教徒による奪還


このようなある種の平和に暗い影を落としたのは、11世紀頃に始まる「十字軍の遠征」ではと思います。ヨーロッパのキリスト教徒は団結して十字軍を名乗り、エルサレムへの遠征を繰り返しました。

200年近い戦争の中でイスラム教徒は疲弊し、イベリア半島でもキリスト教徒が「国土奪還運動(レコンキスタ)」を展開し勢力を拡大しました。

この時代に、十字軍の遠征で輸送や補給を担ったヴェネツィアやジェノバの都市国家が栄え、ルネッサンスへの足掛かりとなります。

1492年、くしくもコロンブスが新大陸を発見した年に、グラナダはキリスト教徒に明け渡されることになり、800年ぶりにキリスト教徒(スペイン)の手に戻ることになりました。

グラナダを明け渡したイスラム教徒のボアブディル王が去り際に、最後にグラナダを振り返った丘は「溜息の丘」と名付けられたそうです。

スペインがイベリア半島を統一してからは、グラナダは特に大きな発展はなく、地方都市の一つとなります。
これは、グラナダの商業を担ったイスラム教徒とユダヤ教徒を追放したことが大きいです。

とはいえ、新大陸を占領したスペインは、世界を支配するような国家へと発展していくことになります。

フラメンコはいつ成立したか


アンダルシア地方といえば、ジプシーの音楽で有名な「フラメンコ」です。
このフラメンコの歴史は18世紀後半で、意外に新しいです。
イスラム教徒の影響を感じさせるエキゾチックな雰囲気はどこから来たのでしょうか。

一説には、16世紀にイスラム教徒に追放令が出された後も、一部の人々は流浪の民であるジプシー(またはロマ族)と合流してスペインに残りました。

ヨーロッパのいたるところを流浪していたジプシーは、もともとはインドに暮らしていたそうです。その起源は5世紀頃に遡り、インドを追放されたジプシーはペルシアを経て、ヨーロッパ中に拡散しました。
グラナダの洞窟住居に住むジプシーに、イスラム教徒も合流して、双方の文化が混じる中でフラメンコが成立したと考えられています。

そのような意味で、フラメンコはアンダルシアの重要な文化ではありますが、スペインのキリスト教徒の文化とは少し異なるものなのです。

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松井章 写真事務所

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