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風景写真家・松井章のブログ

新大陸の富の行方①:中南米からスペインへ 

アメリカ大陸の1492年

「1492年」は中南米をはじめ、世界史の中でもとても重要な年です。
この年、スペインの支援を受けたイタリア商人・コロンブスがカリブ海の島に上陸しました。この1492年はコロンブスの「新大陸発見」と呼ばれる年です。
15世紀後半に始まる大航海時代の初期に、最初に世界に躍り出たスペインとポルトガルは新大陸発見で大きく飛躍して、1494年にはトルデシリャス条約を結び、“新世界(南北アメリカ大陸、アフリカ大陸、アジア)”を2ヵ国で二分することを宣言したほどです。

大航海時代は、航海技術の発展に加えて、スペインがイベリア半島をイスラム教徒から奪還する「レコンキスタ(国土奪還運動:直訳は再征服)」を完了したことも大きな要因です。キリスト教の布教を旗印に、ヨーロッパから外の世界への膨張が始まります。さらに、イタリアを中心に栄え始めたグローバルな貿易ネットワークに対して、オスマン・トルコが地中海東部で立ちはだかったことは、反対側の大西洋へと進出する大きな動機となりました。

「黄金」に始まる南米大陸の苦難

その後、スペインとポルトガルが中心となり、無数の探検家や軍人が南北アメリカ大陸を目指し、先住民は瞬く間に侵略されてしまいます。スペインの侵略者は「コンキスタドール(征服者)」と呼ばれ、メキシコで繁栄したアステカ文明を1521年に滅ぼし、1533年には南米大陸のインカ帝国が滅亡しました。
どちらの文明も繁栄して成熟した社会を築いていましたが、外敵にはあまりにも無防備であったのです。製鉄技術がなかったために剣が無く、武器は青銅製の槍がわずかにあり、あとは石を木の棒に結んだ棍棒だけでした。まさに力負けで蹂躙されるような惨状です。

スペイン人やポルトガル人が最初に南米大陸で求めた物は「黄金」です。南米の奥地にあると考えられたエル・ドラド(黄金郷)の伝説に引き寄せられて、南米大陸をくまなく侵略しました。エル・ドラドは侵略を促すための作り話であったのかもしれません。それでも彼らは大量の黄金を手にすることができました。

たとえばインカ文明では金は太陽神(あるいは権力)の象徴として崇められていました。スペイン人に捧げるために首都クスコに集められらた黄金の宝物は、神殿からあふれるほどの量であったそうです。スペイン人にとっては金は単なる富の象徴であったために、すべて熔かして金塊としてスペインに送りました。

スペインによる植民地支配の確立


黄金を求めた侵略がひと段落すると、スペインやポルトガルよる本格的な植民地支配が始まります。かつての諸文明の都市の石組も解体されて、スペインを再現するような街並みを築き、中心部には威圧的にそびえるカテドラルを建てました。

16世紀中盤から始まる植民地支配は約300年間も続き、先住民の人々は奴隷のような立場で労働を強いられることになります。
人々はキリスト教への改宗を迫られるなかで、もともとあった太陽信仰はキリスト教から覆い隠すようにして表から姿を消しました。現在のアンデス山脈に見られるキリスト教と太陽信仰がミックスしたような信仰の形は、先住の人々が植民地時代を生き抜くために編み出したのです。

ポトシ銀山とスペインの繁栄


スペインやポルトガルによる支配は着々と進み、スペインから派遣されて来た貴族が領地を治めました。キリスト教の布教もセットで行われ、巧みに精神面からも支配を進めました。

1545年、アンデス山脈の奥地、現在のボリビアで「ポトシ銀山」が発見されました。銀の採掘に、先住民が奴隷として大量に集められて、その人口は最盛期には約16万人に達したともいわれます。当時、マドリッドの人口が約15万人、ロンドンが22万人であったことからも、その規模の大きさが想像できるでしょう。
ポトシ銀山の銀は全てスペインへと送られました。300年も続いた採掘では800万人が命を落としたともいわれるほどに過酷な環境でした。

金や銀の莫大な富のスペインへの流入とともに、16世紀後半から17世紀前半にかけて、スペインは絶頂期を迎えます。
特に、フェリペ2世(在位:1556~1598年)の時代には破竹の勢いで領土を拡大します。「イベリア連合」によりポルトガル(とその海外植民地)を従えて、ネーデルラント(オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ周辺)や南イタリア(シチリア王国・ナポリ王国・サルデーニャ)も属領として、さらに支配はフィリピン統治まで及びます。

この時代を象徴する戦争が1571年の「レパントの海戦」です。スペインを主力とした艦隊が、東地中海を支配していたオスマン・トルコを撃破したことで、制海権を取るほどではありませんでしたが、ヨーロッパの人々に大きな自信を与えました。

国際通貨として流通したスペイン・レアル銀貨


ポトシ銀山だけではなく、メキシコでも銀山が発見されて、スペインを通してヨーロッパにもたらされた銀は、それまで保有した銀の6倍以上に及び、世界全体の生産量の3分の2は新大陸産で、インフレが起きるほどでした。銀の産出のピークは16世紀末頃であったと考えられます。

銀はスペインのセビージャやカディスに運ばれて、「レアル銀貨」という貨幣が鋳造されました。のちに新大陸でもレアル銀貨が発行されるようになります。このレアル銀貨は、国際通貨として世界に流通して、資本主義が芽吹くことに一役買いました。
実際に資本主義が成立するのは、18世紀のイギリスやオランダでのことです。

レアル銀貨は、「ガレオン船」と呼ばれる大型帆船に乗せて、海路でアジアにももたらされています。中国商人とは絹や陶磁器、香辛料や砂糖と交換されました。この銀貨の大量の流入により、中国だけではなくアジア全体でも貨幣経済が大きく進むことになりました。

金銀の流入によりスペインは莫大な富を手にしましたが、産業を育てることなく、度重なる戦争の戦費や貴族や王族による浪費、姻戚関係、アジアとの貿易により、レアル銀貨は外国に流出しました。

銀採掘の量の増減と符合するように、スペインは徐々に凋落することになります。

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