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タンゴ=“哀愁と情熱”?
タンゴを一言で表現すれば、「哀愁と情熱(Sentimiento y Pasión)」ではないだろうか。インタビューされるダンサーが確信するように呟いた一言は、自分にとっての「アルゼンチン・タンゴ」を今でも象徴しています。
それは25年以上も前に、BS放送の海外ドキュメンタリーでたまたま見た番組の一部だったのだが、何故かとても印象に残っているのです。
アルゼンチン・タンゴの起源
タンゴは、19世紀後半にブエノスアイレスの港町ボカ地区で生まれたと言われます。
日本が明治維新でようやく近代国家に歩み始めた頃に、地球の真裏に当たるアルゼンチンは繁栄を極めていました。当時はドイツを凌ぐほどの経済力で、“南米のパリ”と呼ばれる首都ブエノスアイレスが建設されました。
主に輸出で栄えたアルゼンチンには、ヨーロッパから続々と移民がやってきて、まずブエノスアイレスに上陸しました。ブエノスアイレス中心部には富む者が集まり、貧しい労働者はボカ地区に暮らしました。
人々は故郷に思いを馳せながら、一方で開拓地で人生を切り開く希望や絶望の中で、酒場で一心に踊り、スペインやその他のヨーロッパの旋律に、先住民インディオやアフリカの黒人のリズムが混ざり合いながら、「タンゴ」が成立したのです。
タンゴが「哀愁と情熱(Sentimiento y Pasión)」に由来することは、その歴史を紐解けば納得が行くのではないでしょうか。
旅を締めくくる「タンゴ・ショー」の魅力
私が初めてタンゴに触れたのは、やはり25年以上も前ですが、初めての海外旅行でアルゼンチンを巡ったときです。最後の2週間、金欠によりブエノスアイレスで過ごしていると、欧米のバックパッカーにタンゴの練習場の見学に誘われました。ショーではなく、練習場といった雰囲気で、遊びと本気が半々といった感じで何十人もの人が踊っていました。そのインパクトはとても大きくて、ブエノスアイレスといえば当時のあのタンゴの練習場が思い出されます。
その後、お客を連れてアルゼンチンを巡るときには、旅の最後にタンゴ・ショーへ連れて行くようになります。
20時半頃からまず夕食が始まり、22:00頃から約1時間半ほど、一流のダンサーと演奏者によるタンゴを鑑賞します。それは観光的ではありますが、何度行っても見応えがあり、アルゼンチンを締めくくる、良い旅の思い出になっています。